やまだまんの『死ぬまで文武両道!』 -28ページ目

【違和感その7】東京五輪招致の罠


熱狂している事に対して、どこまでもネガティブな事を書くので、気分を悪くする人もいるかもしれません。先に謝っておきます。(これまでも散々書いてるので、今更って思ってるかもしれませんが;)

2020年の東京五輪が決定してから約1年半が経ちますが、ずっと引っかかってた事があります。東京五輪招致において、最後のライバルは「スペイン・マドリード」「トルコ・イスタンブール」。トルコは内政が不安定だし、スペインはEUの経済危機で数年後にどうなってるか皆目見当がつかない。ハッキリ言って勝てる戦いだったのに、一国の首相が必死になる姿には、何か裏があるのではないかと違和感があったのです。

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そもそも建設業の労働人口は減っているし、


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震災復興の労働力すら満足にない。

2年ほど前(東京開催が決定する前)から話題になっているけど、東京五輪開催における3K労働力の不足は懸念されている。いったい誰が工事するんだろう?って感じだ。今更、少子化対策したって間に合わないし、ありあまる高齢者パワーなんて使えない。労働力不足を補うには、おそらく外国人労働力を投入することになるんだろう。そして東京五輪が成功する。東京五輪が終わったから、じゃあ外国人労働者はみんなで帰りましょう。なんて事になるだろうか?なし崩し的に移民が生まれるんじゃないか?※絶対にそうなるかなんて事はわからないけど、可能性の一つとして考えている。

振り返ってみれば、原発誘致は主力産業の無い地方を交付金という飴で釣り上げて、住民は知らぬうちに受け入れてしまった。 今回も、オリンピックという飴で釣り上げて、意識の無いまま移民を受け入れるというストーリーを疑わずにいられないのである。後から騙されたなんていう、後出しじゃんけんは通用しない事が証明されている。

伊丹万作はこう言っている。
騙されたと言えば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さねばならぬ。騙されるという事は知識の不足からもくるが、半分は信念と意識の薄弱からくる。



<移民政策の影>

論理的に許されるかは別として、移民労働者は経済の浮き沈みを調整する緩衝材のように使われることが多い。もちろん、安価な労働力である移民が若者の就職口をなくしてしまうと思うけど、外国人を遮断するのは敗北主義的だと思う。ヨーロッパで起きている事はそれだけじゃない。問題になっているのは、不法移民と移民2世である。

移民1世は志が強いため、受入国への同化に頑張るが、2世はその意識も薄れて犯罪をする傾向がある。加えてヨーロッパの移民は、インド、パキスタンをはじめとするイスラム系が多い。こうした不満を持つイスラム系の移民2世は、イスラム過激派のリクルート対象となり、各地でテロを起こしている。確かに、最近のヨーロッパで発生しているテロは、ISの拠点から離れた移民受け入れ国家で起きている。これは2代目の社長が、会社を潰してしまう構造と良く似ている。ヨーロッパではこの悪循環が各地で起きているようだ。

一方で、フランスのように受け入れ基準を厳格にすることで、一定効果の歯止めは期待できるが、不法移民は止められない。※サルコジが進めた選択的移民政策では、移民の条件として「生活維持とフランス語ができること」「その家族はDNA検査で家族である事を証明すること」が条件とされている。

そもそも日本における移民の大量受け入れの検討は、2000年頃から財務省がしていたとされていて、政府の悲願でもある。安倍首相は「移民政策」という言葉は避けているものの、外国人労働力を投入することは示唆している。じゃあ、日本にイスラム系の外国人労働者が残留したらどうなるだろうか?

最初の数年は経済も高い水準で安定するかもしれないが、残留2世はイスラム過激派に例外なく目を付けられ、日本もリクルート先として対象になるだろう。集団的自衛権反対!戦争反対!と言っているうちに、内部でドカーンとやられる可能性だって否定できない。ってことは「集団的自衛権反対!」とやっている人たちは、本当は「外国人労働者の受入反対!」に敏感であるべきなんじゃないか?そういう意味も含めて、昨今の集団的自衛権の行使ありきの議論には、どうしても興味が持てない。※でも、何で議論がズレてしまうのかには興味がある。

また残留した外国人労働者は、家族を呼び寄せる。イスラム系であれば、4人の妻を呼ぶことだってあり得る。厄介なのは、一夫多妻がイスラム的に認められていても、日本の法律では認められていないことだ。更に、移民は合計特殊出生率が高い傾向がある。アメリカでは、非ヒスパニック系の1.86に対して、ヒスパニック系が2.79。移民政策で有名なフランスでは、フランス人の1.65に対して、移民が2.50。長期的視点で見ると、マジョリティが移民になってしまうことになる。



<差別と区別>

個人的には、日本は「島国の小国として持続できる経済」を目指すべきではないかと思っている。これは減少していく人口などをトータルで考えた結果。でも自分は政治家でも学者でもないから、影響力なんてない。そして、今の日本は経済成長をさせる方向に進んでいる。自分がやりたいのは、その先に起こることを予想して備えておくこと。外国人労働者が移民化した場合に、何を考えておけば良いのか?それを考えておきたいと思って文章化している。公開する必要なんて本当はない。

そこで考えておきたいのが「差別」という言葉の定義。今の日本では、何でもかんでも差別だと、被害者志願者の行き過ぎた差別主張とも思える事がたくさんある。じゃあ、差別が無いってどういうこと?差があるからこそ区別するのであって、区別と差別に違いは無いのではないか?ってことは「人類はみな平等」以外に、差別のない社会は無いじゃないか!という思考に従って、「人類はみな平等」の世界をイメージしてみた。

「人類はみな平等」の世界では、全てを「人類」という区分だけで考えるので、国なんて概念は必要がなくなった。誰もが好きところで、同じ水準の暮らしをすることができる。一応、徴兵制も残っているが、男女問わずに子供から老人までが対象である。また職業による区別はなくなり、誰もが同じ金額で給料がもらえる。もはや、社長なんて肩書に意味は無くなった。みんなが同じ給料をもらえるから、もちろん年金という仕組みは消えていった。スポーツ界においては、男子と女子の区別はなくなるし、運動会では先生と生徒がガチでかけっこしている。選挙権は0歳から与えられ、生まれた次の日に結婚することだってできる。もちろん同性でもOKだ。平等って素敵だなぁ・・・。

って、なるわけがない。
この不快感は「差別だと言われる区別」と「差別だと言われない区別」の2種類の区別のうち、日常生活において、後者を暗黙で認めているから感じるのだと考える。

例えば、歴史上で最も有名な黒人差別のルーツは、大航海時代のヨーロッパ人(白人)が、肌が黒い未知の人間に遭遇した時に、あれは自分たちと同じ人間ではないと区別したことにあるが、この白人の線引きに対して合意が取れていたならば、差別にはならないのだろう。つまり、線引きのコンセンサスが取れていないことを「差別」、コンセンサスが取れていれることを「区別」と定義すれば良い。「人類はみな平等」は、みんなが同じ生活をするというやけくそではなく、「コンセンサスがとれた区別」で調和した社会構造を指す。当たり前?

ちなみに日本は、はるか昔から排他的国境管理を続けているので、どうしても移民慣れしていない単一民族国家である。何でもかんでも一緒にすることが平等だと考えている人が多いし、入ってくる外国人が日本の法律を守り社会秩序を乱さずにいてくれるものと思っている。更に、日本人の感覚を、海外でも同じように認めてもらえると思っている人が多いことには、危機を感じざるを得ない。移民の尊重という意味の区別と、差別は別物だ。



<イギリス人化する日本人>

移民には二つの原則がある。相反する感じがどっかの国の憲法9条みたいだ。

(1)移民は文化を豊かにし、国際社会のハーモニーを推進する。だから移民の増加は歓迎すべきである。
(2)移民は文化を破壊し、国際社会に不和をもたらす。だから移民の増加は阻止すべきである。

フランスでは、受入基準を厳しくしているように、移民政策は(2)に忠実であり、フランス文化の維持を最優先としている。外交上、理念と基本的価値観を重視しており、人権、三権分立の祖国であることに誇りを持ち、自国のアイデンティティーを重視する。学校ではフランス語を教えるから、それ以外をやるなら自分達でやりなさい。って調子だ。その結果、まぁまぁ上手くいっている感じがする。

だが一方、イギリスは(1)(2)の両方を実現しようとして、ワケのわからないことになっている。学校教育では英語を必須としていたが、それは言語統制だという非難があがるとか。勤務時間中に礼拝するのを禁止してイスラム教徒を怒らせたかと思えば、今度は奨励してイギリス人を怒らせるとか。右往左往した結果、イギリスでは平等を重視して教育において『かけっこ』を止めた。なんかどっかで聞いた事がある。そして、英語のスペリングテストを止めた。移民の子が英語が苦手だから、差別をなくしたのだ。更に、次はキリスト降臨劇をやめた。日本でいえば、七夕をやめたようなものだ。なぜイギリスは、相反する二つを同時に実現しようとしてしまったのか?

原因は、世界一のイギリスでは、誰でもパーフェクトな理想を実現できる権利があると信じているからだという。そんな事を考えてしまう原因は、以下の2つにあるといわれている。

①イギリスには自然災害が無い
②「世界一の大英帝国」という見栄がある

①に関しては前回「打たれ弱いのは誰?」に書いたように、モノを喪失する経験が少ないため、理想だけが成長し続けてしまっていると考えられる。いわゆる国民総モンスターである。たとえば避妊治療の結果、三つ子を授かったが、一男一女を理想とするイギリス人にとって、三人目は予定外であるから、養育費をクリニックが払うべきだと裁判になっている。他にも、就職試験で落ちた女性が、性差別だと会社を訴えていたりする。やれやれ。。。理想だけが成長し続けていて成熟できていないっていうのは、日本と共通している気がしてならない。

②に関しては、イギリス人は世界一の国だから、皆が平等になる権利があると信じている。世界一の理想の国であるイギリスでは、移民を受け入れないなんてことはあってはならないのであるということらしい。性質は違えど、これは「建前と我慢」という日本固有の美徳で達成することが出来そうだ。

未来の日本では、自分の子供に「今日は学校で何を勉強したの?」って聞くと、「今日はパキスタンの歴史を勉強したよ!」って答える日が来るかもしれない(しかも英語でw)。もし移民を受け入れる事になるならば、どちらの方針で進めるのかハッキリさせなくてはならないのだろう。しかしどちらも極端な考え方である。日本政府が、どちらかを選択する覚悟があるのかは気になる。そして、もし受け入れるならば「去る者は追わず」にするべき。平等じゃないから。


纏まったようで、纏まっていない。。。とりあえず、こんな冷めた視点でも、東京五輪に注目していきたいと思う。もちろん、五輪そのものは楽しみたいと思っている。