【違和感その8】集団的自衛権
集団的自衛権の行使容認。最初はなんてこったい!と思った。だが過去形。
年始に、10年ぶりに大学時代のゼミ友と会ったのですが、そこで少し議論したのが集団的自衛権でした。自分達のゼミは彼との2人だけだったので、普通の会話がいつの間に議論になっちゃうのがとても懐かしかった。だけどいつの間にか実力差が。。。ちょっとばかり自分の頭の劣化に嫌気がしたので、今こうしているワケでもある。そして、何とか信念を出しました。その時の議論と、その後に付け加えた知識で要点を纏めてみた。※公開しちゃってるのは自分自身のガスを抜くためと、やる気を出して纏めたいから。責任が違うw
様々な文献を手に取って出した答えは、当たり前な感じもあるが、「集団的自衛権は必要。憲法9条を変えるならば、歯止めとして自衛権のためという言葉を明記すべき。また改憲する際の投票率、得票率を明記せよ。」
まず憲法とは、国家権力に制限をかけ、個人の自由と権利を守るものであるもの。つまり国家権力から国民を守るためのものである事を忘れてはならない。そして憲法9条を確認してみる。
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第一項で安全保障の放棄を行うと言っておきながら、第二項で安全保障体制は作る事はできると言っている。前項の目的を達するためというフレーズが生んだ曖昧さと矛盾が、今の集団的自衛権の議論を白熱させている要因である。小中学生でも疑問に思えるかも。
ちなみに憲法9条は平和の象徴と言われるが、実態はアメリカが日本を徹底的に弱体化させる意図で作ったものであることは、言わずとも知られている。そして朝鮮戦争の勃発後、日本からアメリカ軍が出兵して行きガラ空きになるが、日本の社会主義国化を恐れるアメリカが、日本に自衛を要請。第二項に従い、今の自衛隊の前身である警察予備隊が結成されることになった。
徐々に本題に入っていくが、まず「集団的自衛権の行使容認ありきの議論は的を外している」と言っておきたい。メディアだけに限らず、多くの人が行使ありきの議論をしている。確かに我々の世代は「広島と長崎の犠牲により終戦の決定が下され、平和を手に入れた。」と習っている。身近にも「戦争が出来る国になっちゃう!」と騒ぐ人がいる。日本は平和の国の代表だと言いたいのだろうが、ひたすら内向きであり、加害者としての意識が希薄すぎる。まぁ、国民意識が追いついていないところで変わった憲法なんて、効力はないから安心して欲しい。だけど憲法が変わったら、僕たち私たちは憲法違反は嫌だから戦争に行くんだと言うなら、是非とも考え直した方が良い。一方で、そういう教育、つまり教科書に書いてあることは正しいと教えているのは、日本の教育だったりする。なんて便利な国民を作り上げているんだろう。
〈敬遠されてきた安全保障を考える事〉
昨今の議論は「安全保障」「憲法解釈」「感情的反応」の3つが一度に議論されていることに問題があると言われている。議論すべきは「安全保障政策として、日本はどのような道を通るのか?」という事であり、「憲法解釈」「感情的反応」は、今のところ優先度は低い。自分の周りを見ていると、法を運用、解釈するのは得意だけど、法とはなんなのか?という事を考える人は少ない。
話が逸れてしまうが、「憲法解釈」を議論するのであれば、集団的自衛権ではなく、憲法が公のための憲法になろうとしている事に警鐘を鳴らすべきだと思う。例えば、自民党の改憲思想においては「親孝行など、道徳的なところにまで踏み入ろうとしている」。憲法とは、国家権力に制限をかけ、個人の自由と権利を守るものである。つまり憲法は国家権力から国民を守るためのものであり、義務を強いるものではない。自民党草案は総じて、国家のための憲法と解釈できる内容である。例えば、家族の扶養が憲法で義務づけされてしまったら、年金や介護保険なんてなくなってしまう可能性だってある。本音はそれか!
では、これまで国民が抱いている日本の平和って何を指してるのだろう?って投げかけつつ、だいたいあたりは付いている。漠然と戦争をしないという消極的平和主義である。しかし、これはアメリカにおまかせの安全保障があってこそ、つまり日本の安全保障の根幹は日米同盟にあることを意味する。自分自身による安全保障は放棄するが、民主主義国家間の同盟によって、アメリカに安全保障をしてもらっている。なのに日本は、安全保障を考える事を避けてきた。これは、太平洋戦争で負けた歴史が、国家は悪だというイメージを生み出しているからだと言われている。このイメージが国民全体に広がり、皆が安全保障を考えることを避けてきたってことか。納得。確かに、安全保障を考える事は、保守反動だと言われて敬遠されているし、こんな事を書いてると、お前は戦争を支持するのか!なんて的外れな批判がきそうだもん。
〈安全保障を考える〉
社会学では、概ね3つの選択肢を提示しているように思える。『理念に現実を合わせる』『現実に理念を合わせる』『現状維持』。
『理念に現実を合わせる』ならば、武力を持たず平和を愛する理想主義的立場。戦火のやまないこの時代に、能天気な事を言っていると国際的に相手にされなくなり孤立するだろう。
『現実に理念を合わせる』は、集団的自衛権容認の立場。国際政治の現実のもとで日米同盟を強化していく事になる。理想を捨てきれない日本人が多い事と、政権が暴走するのではないかという不安は抑えられない。
『現状維持』は、これまで通りに、国内向けには自衛隊、国外向けには国民軍、この2つを使い分けていく事になる。大人の対応と言えるかもしれないけど、矛盾を突く潔癖な論理には反論できない。周りからは、日本は何をやってるんだと思われるだろう。
ここからは政治学の出番だ。今後を具体的に想像するならば、米軍優位の軍事バランスが崩れるのは極東。まして今や戦争は、国家間だけのものではなくなっている。続いて今後、中国の軍事拡大のペースが上がることになれば、アメリカにとって日本の安全保障の優先度は必然的に下がる。その時、日本の安全保障は誰が保障するのか?アメリカの戦争に巻き込まれるといった懸念が論議されがちだが、核心は日本の防衛が実質的に機能するかということではなかろうか。
そこで、今後もアメリカに保障してもらうと言うのであれば、集団的自衛権は必須になるだろう。民主主義国同士の同盟の本質は信頼である。同盟において、相互主義と相互利益は当然の前提であり、アメリカが攻撃を受けたら、日本は集団的自衛権を行使して防衛義務を果たすのが普通だ。日本の強みはフェアプレーとか自分で言っちゃうクセに、全然フェアじゃない。
これまでそんな事は無かったじゃないか!と言う人もいるかもしれない。それもごもっともな事。例えば朝鮮戦争、ベトナム戦争では、あなた方(アメリカ)が作った憲法によって軍隊を派遣する事はできません。だから戦争には参加できません。昔はそれで良かった。この流れが変わったのが湾岸戦争。記憶にある人も多いと思うが、日本は湾岸戦争において90億ドルの資金援助をした。しかし戦争収束後、クウェートは感謝国リストに日本を入れなかった。世界からNATO『No Action Token Only』、少々の金だけ出して何もしないと言われた。国際評価の基準が変わってきており、とにかく平和が大事だとだけ言ってもいられない状況にある。つまり資金援助だけでは、国際社会から孤立してしまう可能性がある。都合の悪い事を水に流す日本文化が、この事実を忘れされてはいないか?何も戦争をするべきだと言っているわけではない。日本の軍事力なんて期待されていないし、いわゆる後方支援で、直截的な国際貢献が出来るようにしておけば良い。ってか、そもそも戦争ができるほどお金ないし。
視点を変えて、中国に縋りつくという選択もある。しかし、中国が気に入らない識者や、メディア人を拘束するような国である限りは実現困難であろう。日米中正三角の同盟という思想を民主党が掲げた事があるが、利害関係が入り組んだ三ヵ国同盟に効力があるわけがない。ただの綺麗事であり、議論する価値はない。
アメリカ、中国に頼らないのであれば、アジアの経済、政治、安保分野における協力と統合の動きを日本が主導していく必要がある。これは、新たな同盟を作る事にも等しいので、この場合も集団的自衛権は必須であろう。ただし日本が独自の判断で行動することは、アメリカが嫌がる可能性がある。結局、この場合もアメリカを上手く取り込む必要があるのだろう。
何度も言うようであるが、同盟の力の源泉は信頼関係。信頼関係の無い同盟は機能しない。だから自衛のための信頼関係を構築する力が必要なのである。そのためには自由度の高い軍である必要は無く、警察の延長での自衛隊で充分である。『現実に理念を合わせる』のがベターだと思う。
〈国体より人〉
『安全保障、安全保障』と言っているけど、意図的に目的語を省いてきた。自民党の言う安全保障は、国の安全保障を主張しているように思える。つまり国体。でも、我々が欲しいのは『人の安全保障』のはず。集団的自衛権の必要性はわかるけど、守るものは人であってほしい。だから自衛を明確にしておくべきだと思っている。
もちろん戦争は良くない事だし、推奨するつもりも無い。ただ戦争の基本を知らない人は、外交を知らないと思う。そもそも、あらゆる面で戦争が悪いものだということを、客観的に説明できる人はおそらくいない。
じゃあ視点を変えて、日本が自分の事は自分で守るという当たり前の国になる事にデメリットはあるのだろうかと考えてみた。吉田茂は、日本国憲法成立後、安全保障は完全に米国にお任せにして、経済復興、経済成長に全力を投入してきた。日本の復興が早かったのは、安全保障をアメリカに押し付けたからとも言える。つまり自分のことは自分で守るとすれば、社会保証、経済発展に割く力が減るというデメリットはあるのだろう。
と、毎度冷めちゃってるのは、友人も自分も、心のどこかで『日本という国にこだわりがない』からだと思った。日本って理系の人間にとっては、めちゃくちゃやりにくい国なので、どこかに脱出願望が潜んでいるんでしょうねw
あと疑問に思っているお題はあと二つ。
それを整理したら一区切り。かな?