「今、たまごって言った?」
「うん」

最近は訪問ステーションから、訪問があるときは、体温測定・マスクをつけるよう言われている。
別に暑くもなかったので、訪問看護師さんがお帰りなってもマスクをつけたままの父の言葉を聞いた。

マスクをした人の言葉がわかるなんてはじめてで、自分で驚いた。

すぐ思ったは、最近は交代のあった、言葉を聞き取ることができるヘルパーさんだった。

これまで自分の「聞こえ」は、タイミングで「あれ?今聞こえた」という風に圧倒的にふいに聞こえることが多く、その後待っていてまた聞こえることはなかった。

でも一緒にいる間、ずっと言葉がきこえ聞こえ続けていた方がいらした。

◆ 中里さんのリハビリを見学された男性(2012年11月)
◆ 現在お世話になっている女性のヘルパーさん


マスクをした人の言葉がわかるとは、口の動きを見ていないのだろう。
ヘルパーさんは週1で訪問されるが、よくわからないけど、週1で自分が聞き取りやすい声の言葉を聞き続けると、聞こえに変化があったりするのだろうか。
 

◆: 自分に起きた変化

1回目脳出血後の頃、認知神経リハビリテーションを続け、自分の感覚が「ない」から「ある」が殖え、自分の病的な身体が回復していった。

◆重度の右片麻痺で、いつも肩より上まで持ち上がっていた右手は腰まで下りた。
◆亜脱臼を起こしていた右肩は回復した。
◆失語症だったが、話し言葉が、数珠つなぎのように口からでるようになった。
◆ある日、右足にはめていた装具をはずしたくなり、少しずつ装具なし歩行練習を少しずつはじめ、最終的に装具をつけずに歩くことになった。

この間もリハビリは週2回行うことがあり、認知神経リハビリテーションが重要視する、知覚、注意、判断、言語、記憶をフルに使ったリハビリがあった。(非常に読みづらい、失語症当時に書いたリハビリの様子(レポート)のHPはある…)
リハビリ療法士さんが独自に考案したものが多く、面白いリハビリだった。



ここまでが1回目の脳出血後の回復だが、透析患者は腎臓で代謝される降圧剤は服用できず、肝臓で代謝される5種類の降圧剤を服用していたが、それも効かなくなり2回目の脳出血になる。
両麻痺になり、聴覚障害や嚥下障害等々とんでもない重度の障害になる。

◆ところが左手は辛うじて動き、また降圧剤がいらない血圧になった。(寝たきりより立って歩ける方が高血圧になりそうな気はするから、今降圧剤が必要ないのだろうか?)

しかし脳出血で入院中、透析で右手に人工血管を入れシャントを作ったのだが、術後に腱を切りましたといわれびっくりした。
動かない右手の腱を切り、透析での穿刺をしやすくのは、取るに足らないことだろうと思われたのかもしれない。
なんで手術前に教えてくださらなったのかという感じだったが。
右手で透析を受けようと決断した後悔と、亜脱臼の右肩を治療してくれた中里さんへの申し訳ない思いだった。 
術後、くたっと伸びきった自分の右腕を見て、罪悪感に悩まされた。
しかし数日経つと右ひじは曲がりはじめた。
右手の腱は切ったと聞いていたが、腱は1本残して切っていないと聞いていた。
腱は1本でも、肘は曲がるのだろうか。
息を吹き返したように右手が曲がっているのを見て、胸をなでおろした。

退院後、中里さんのリハビリ治療を受けた。
◆動きがなかった両足に動きがではじめ、右手にも動きが少しあった。
右手の動きは、掛布団から出た手を布団の中へしまう、些細な動きだった。
でもこの右手の動きは、中里さんの右肩亜脱臼の治療や右ひじの腱の存在があってできたんだなと思った。


2回目の脳出血後は、とかく寝たきりで暇で、考えることが多かった。
1回目の脳出血後にはさまざまな身体の変化があったのだが、自分では気づけていない、自分バックボーンともいえるような部分に大きな変化を起こしているとずっと感じていた。
ある日そうか、と納得できた。
◆自分が変わったのは、病気の部分ではなく自分の考え方が、脳出血前の自分となんか違うと感じた。
過去の自分を思うと、決断力のなさがすごく気になったのである。

なんで今の自分は決める速さが速くなったと感じるのか。
最初は、自分の障害はひどすぎて、もう何も怖くないみたいな精神の変化かと思った。
でも私は認知神経リハビリテーションという脳のリハビリを長いこと受けた。
自分の感覚を感じて考えることは、脳出血になるまでやったことはない。
この療法で重要視する、知覚・注意・判断・記憶・言語。
このうちの判断力をかなり鍛えられた可能性はあるんじゃないかと思ったのである。
(2020.6.146.16 追記)今まで受けたリハビリには、閉眼して複数個所の感覚を順番に記憶してから、最後の感覚は何番目の感覚に等しいかを選び取ることは多かった。

私は2001年に1回目の脳出血があり、2004年に中里瑠美子さんによる認知神経リハビリテーションをはじめて受けた。
当時リハビリはPTのみ受けていたが、重度の右片麻痺の右手は、緊張で肩以上に持ち上がるようになってしまった。
そこでOTも必要になり、リハビリテーションにいらしたOTの中里さんに指導を受けることになった。

当初受けたリハビリは、今思っても不思議だが、感覚がないと思っているところで感じようとしていた。
重度の右片麻痺に、感覚のない右肩にスポンジを当てていた。
中里さんから、「感じてみて」と言われ、私は頭はぼんやりしていたが、感じないけど感覚を探すことに集中することはできた。
もちろん中里さんは、ない感覚を私に念力か何かで感じさせようとしていたわけではない。

私の感じなくなったところの感覚は、脳出血後もずっと存在していて、怪我などしない限り切断されることなく、そこの神経は脳とつながっている。(中里さんから説明を受けた記憶がある)
そこの神経から脳に伝わった情報は、脳出血で脳は理解できなくなった。
中里さんの「感じてみて」とは、脳にたどり着いている神経からの情報は確実にあるから、探してみて、とおっしゃったと思う。

脳出血を起こした脳でも、自分の感覚を探すことができ、その後のリハビリにつなげることができたのだなあと思う。


私は2回脳出血を起こし、リハビリでの感覚は、1回目のときより2回目の方が強い痛みだと感じる。 
2回目の脳出血の方が障害が多く残っているので、治療の痛みは強いかもしれない。。。
でもその痛みは、自分がわかっていない感覚である可能性がある、と聞いた。
痛みに似た、自分がわからない感覚。
やっかいだが感じてみると、痛みとは別の感覚が混ざっていると感じ、痛みと全く同じじゃない。
ふつう痛みは腹痛・頭痛など身体のトラブルの知らせなので、わからない感覚による痛みだとちょっとほっとしたりする。 でもそうだと言っても確実にそうとは言えないとは思うのだが。

わからない感覚を表現すると、違和感とか不快感だと思っている。
リハビリが進み、この感覚が弱まってくれたらうれしい。
脳出血で入院中、自分には痛みはなく、ある意味幸せだったのかもしれない。
でも脳出血で麻痺になった身体は、リハビリを開始して、ひどくはない痛みがでてきた。
痛みは、自分がわからない感覚だったり、麻痺のために姿勢の悪さに気付かずにいてリハビリ中に気付き、痛みでびっくりしたこともある。
痛みがわかるとは、わからないときよりいいはず、と麻痺のある私は思う。
毎日ひどく痛いわけでもないからである。






 

新型コロナウイルスの影響で、先週からリハビリはお休みである。
リハビリ療法士さんからリハビリお休み中の宿題をいただいたり、訪問看護師さんに時間があるときは足を動かしていただいている。

でも・・・
不真面目だなと思うが、真剣に宿題に取り組んでいない。。。

自分が受けている認知神経リハビリテーションは、偶然1回目脳出血後2年過ぎたあたりに受けた。
この療法は、リハビリ療法士の学校で学べないので、国家試験でも出題されないという。
この療法で患者を診ることができるリハビリ療法士さんは、リハビリ療法士の資格取得後に独学されている。
認知神経リハビリテーションは、発展途上にあって、いろんな可能性を秘めている、と私は思う。
だから、寝たきりなのに立ちたいというリハビリ目標でお願いしてしまっている。


ふと、このリハビリがお休みになって、今までこの新奇なリハビリを受けて身体はどう変わったと感じたとか、リハビリで受けてきたこととかを書きたくなった。
それを書くことによって、自分は今何をしているのか知ることができたらいいのだが。
自分はこれをやっておけば安心、と思えることが少ない。。。
心配性なんだろうけど。あれこれ考えていると少し落ち着く感じ。


以前、このリハビリを受けて身体はどう変わったと感じたか、認知神経リハビリテーションの講習で体験談を話したことがあった。そのときの原稿である。(2005年3月)

※ 2010年、認知神経リハビリテーションは、認知運動療法から改名されている。

私、やっぱり悪いことしていたんだよなあ。
リハビリ通院。
外出自粛の世の中においては・・・
通院は認められていても、リバビリは世間ではどうとらえられているか考えるべきだった。

今週訪問看護師さんから指摘を受けたことだった。
びっくりしたが、院内感染がではじめたことらしい。
通院リハビリを続けていた私は、リバビリのために病院へ行くというよりも、かなりリスクを冒して病院に行くように訪問看護師さんからは見えたのだろう。
それくらい病院には感染者増え、余程の理由がない限り行けない場所になってしまったらしい。

現在のリハビリは、脳の病気の治療だと思っているが、目的は「移植ができるには車イスでは無理だから立って歩きたい」。 無謀なことで、ひとりでできるリハビリではない。 リハビリ通院をやめてどうするか、思いつかない。 リハビリ療法は変えないし、訪問看護師さんからリハビリ通院ができない間、リハビリに協力してくださるとおっしゃってくれた。 何か考えないと。

PAPER BLOG ・・・ヘルパーさんに読んでいただいているもの。(ものすごく不定期である)プリントアウトして、チラシのようにテーブルに置き、ヘルパーさんがお手すきの時に読んで頂こうとしたが、私がのそのそと遅い食事のときなどは、ヘルパーさんはすぐ仕事を終えてしまうので、ブログを読み終えて、感想を書いて読ませてくださるときもあるのである。。。

先週、ヘルパーさんがチャイムの音は聞こえているの?と聞かれたので、書きたくなったブログです。

Vol.46  「脳出血により消えた聞こえ」

私は2回目の脳出血からほとんど聞こえなくなりました。リハビリ療法士さんは脳が原因とおっしゃっていたように、全く何も聞こえないわけではなく、脳の都合で聞こえるときがあるようです。例えば、
玄関のチャイムの音(ほぼ確実にわかります)
低い声の言葉(わりと理解できたりします)
です。
最初はどちらも聞こえると表現していたのですが、途中から自分は本当に聞いたのだろうかと思い始めたんです。

チャイムの音は、私にとってはいつも同じ音ではありません。でも私はその音は確実にチャイムの音だとわかっているので、バルコニーにいてチャイムの音が聞こえない家族などに大きな音をだして知らせることがありました。
低い声の言葉は、よく聞き取れたと思うときと、聞いた言葉を忘れ要約だけが頭に残ることがあります。

確かに私は聞いたはずだけど、音の持つ意味だけを認識したんでしょうか。
ーーーーー
ヘルパーさんは、高齢の方から低い声の方が聞き取りやすいと伺ったことがあるそうです。

たまたまアクセス解析を見て、2011/10/29~10/31という記事の内容がわからないタイトルがアクセスされていると思った。

2011年の記事は脳出血後入院中のもので、若い女性のPTさんが、私は落ち込んでいる時期があり、私が認知神経リハを受けたいと思っていると感じ取ってくださり、私の持っていた宮本省三氏の「脳のなかの身体」を読んでリハビリを行ってくれた。 (宮本省三氏とは、認知神経リハビリテーション学会の会長である) 私は嬉しくて、話せない代わりに使おうと、このブログをはじめた。

日付のタイトルを見ただけではすっかり忘れている記事を見ると、今リハビリでも寝返りを兼ねた内容で似ているなと思った。  
2011年はブログはじめたばかりで、恐らく読んでくださったのは、入院していた病院内の方ばかりで、私はリハビリを診てくれた方宛てにブログをアップしていた気がした。 
何となく今のメールでブログに似ていると思った。

2011年の寝返りのリハビリでは、ちょっと転がるだけで感覚が変わっていて、発症時に近いとなりやすいのかもと思った。 でも現在でもリハビリ中に感覚が頻繫に変わることはある。 リハビリに集中したら、感覚の感度が上がったりしないだろうか。

先々週はリハビリの記憶はあまりなく、短いメールを出した。
これでは意味がないかも・・・と先週は気合を入れて、リハビリは40分だし、全部覚えられる気がした。

片麻痺のとき、中里瑠美子さんの指導のもと、失語症回復の意味のため、リハビリレポートとしてリハビリが終わるといつもリハビリで何をやったか思い出し、書くことを続けていた。
最初は数行足らずのレポートだったが、最終的に何をやっただけじゃなくどう感じたのかが増え、主観的が多いレポートになった。
このレポートを書くことにより、記憶力がアップした。
1回目の脳出血後は、自分は覚えることが難しかった。
暇なので、自宅サーバを作ろうとしたが、昨日作ったところまでを全く思い出せなかった。
今なら作った手順を記録すればよかったのにと思うが、そう考えることができず、でも自宅サーバはできたのは記憶力が回復したおかげがあったからと思っている。
現在自宅サーバはない、使用したのはAnhttpdとDynDNSサーバだった(当時2004年頃?無料)。

その経験もあって、今の認知神経リハビリテーションというリハビリ療法は、記憶力を利用してみたくなった。 リハビリ中に出た感覚を、その場で消してしまわずに長く持つにはそれを書いたらと思った。
でも主観たっぷりの感覚の記述は飽きていることもあり、誰が読んでも納得できる感覚の変化の記述ができたらいいのだが。


先週は、体調が良かったのか、リハビリが覚えやすかったのか・・・頭には順序よく映像のように残っていた。

身体のある部分が「気になる」ときが始終痛いこともあれば、さほど痛くないけど嬉しくはないときがある。 現在は後者でちょっと眠りにくい。

できればないほうがいい感覚で、仰向けで足を思いっきり伸ばしてみる。
この格好は自ら放散反応を起こしているみたいでいいことかわからないのだが、確実に気持ちいい。

足裏も思いっきり開くようにすると、これも気持ちいい。
でもこれは気持ちよさだけではなく、足裏全体ではないが太い葉脈が浮き出るようである。
この気持ちいいときだけ、足指は天井を指し、足は尖足じゃないみたい。

PAPER BLOG ・・・ヘルパーさんに読んでいただいているもの。(ものすごく不定期である)プリントアウトして、チラシのようにテーブルに置き、ヘルパーさんがお手すきの時に読んで頂こうとしたが、私がのそのそと遅い食事のときなどは、ヘルパーさんはすぐ仕事を終えてしまうので、ブログを読み終えて、感想を書いて読ませてくださるときもあるのである。。。


Vol.45  「脳が回復していると思えるとき」

ブログを好きと思っていない母には目障りであることはわかりつつ、と前回のブログに書いて、ヘルパーさんはそうなんですかとおっしゃったんです。 よくよく考えたら娘の書くブログを嫌う母ってあまりないケースかも・・と思いました。母は音楽が趣味で編曲を手がけているようで、楽器はお琴、リコーダー、エンゼルハープ少し、ヴァイオリン少しの経験があり、だからでしょうか、時々私から見て母は神経質?と感じるときがあります。2回目の脳出血で入院中からはじめたインターネット上のブログは、今よりさらに文は下手で母ははずかしかったと思います。
私が書いたブログを修正して、私はその通りに直していた時期がありました。今思うと信じられないことですが、2回目の脳出血後は母の言う通りにするだけで、自我がなかったようなんです。

まだ自我がはっきり感じていないとき、書籍化したブログをテーブルに置いておくと、ブログを書籍化がいやだった母は見えないところへ放り投げたのです。母と喧嘩になりました。放り投げられた自分の書いた下手なブログ本が、自分が全否定されたように思えたんです。
母の言う通りにブログを修正していたときは、おそらくこんな感情は起きなかった気はします。また私のことを否定する母の存在が、本来の自分でない自分を目覚めさせたのでは、と感じます。間違えだらけのブログを否定せず、微笑みながら読む母であったら、私は自分は間違っていないと思って、ブログを読み返すことをしなかったかもしれません。
その後自分に身につけるものは母に選んでもらわず自分で選びたくなりました。

ーーーーー
ヘルパーさんが感想を書いてくださった。
たぶん娘は後遺症で間違いだらけのブログを否定しないだろう、と。
母がすごいところで、同じ気持ちであっても否定したのではないかと。

脳出血後に何度もお世話になっている「認知神経リハリテーション」というリハビリ療法に似たような感覚を持った。 リハビリ中にあまりにリハビリに反応がなく、お互いに貴重な時間を使っている、と言われたことがあった。 ひょっとして怒られている?と思ったが、注意はよくありそうだが、リハビリ中に怒られるなんてちょっとなさそうだ。 「認知神経リハリテーション」というリハビリ療法に感じるのは常に本気であって、おしゃべりが非常に少ない、ことだ。