(昨日より続く)
5,内的認知の観察
(1)共通の物差し
それでは内的認知は計測できるのでしょうか。計測できれば科学的にも便利なのですが、これは難しいようです。難しい第1の理由、それは脳内知識体系が空間的でないために、数字、演算、関数と言った道具が使えないことです。
そしてもう1つの理由、それは特に他人間で、共通の物差しがないことです。外界物理だったら物差しや時計で、どこでも○○センチとか30分とか測れるのですが、内的世界の場合個人間はおろか個人内でも難しい。ラーメンの旨さと落語の面白さの大小とか、言えても主観です。
(2)ビジロジ混合
内的世界の問題に、人はどうやって水と油の、「全体観と論理を組み合わせているのか」という問題があります。例えば棋士は、盤面全体を見つつ、同時に定石と言う論理で譜を打ちます。これは一見不思議です。
特にビジュアルとロジックは、形や思考法が大きく違って、前者は感情的で後者は理屈的、あるいは前者は大容量で後者は数ビットです。ある意味アナログとデジタルの対立にも似ています。
これは各自自分が自分の日々の認知を振り返ってみると見えてくるのですが、例えば人はバスに乗って、景色を眺めながらもどこで降りるかを知っていたりするのですが、ビジュアルと言いながら実際は要点抽出で完全にビジュアルでもなければ、定石と言いながらも理屈だけでなくその周りの景色も伴っていたりするのです。
ですからビジロジの問題も現実には、個々の事象ごとにその割合が異なっているのに過ぎません。
(3)ノードの多面性
認知記憶のノード、これは今までさも点であるかのように扱ってきましたが、実際は一定の幅と範囲を持ったアナログです。例えば「リンゴ」と言ってもいろんな種類の又いろんな大きさの多数のリンゴの幅のある総称になっています。
実際に認知ネットワークは現実のあらゆる面に対応できないと、個体安全を保障できませんし、そのためにはノードも幅がないとだめなのです。そして幅があると言うことは点と異なり多面的、見る方向によって無限個の顔を持ちます。
この多面性のおかげで、ノードは色々な他のノードとネットを張れるわけですし、事物がたとえ同じ対象についてであっても、見方によって良くも悪くもなるという現実にも目が行きます。
ただ残念なことに基本がネットワークであり、数字や式のようなものは少なくともまだ見つかっていないので、数値計算とか連続変化とか式変形と言ったデジタル固有の手段は使えません。その代わりに日々の瞑想と実践を通して、地アタマを多面的に磨いていくことになります。
(明日に続く)
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