(昨日の続きです)

 

(4)認知の高度化

今挙げたのが認知の基礎構造ですが、この構造は経験と学習と法則応用力によって時とともにまた成長とともに、より精密化すると同時に、個体安全よりも好奇心や興味や余裕の遊びの方向に進んでいきます。これは成長とともに安全の相場観が養われて、常に用心する必要がなく、心に余裕が生まれるためです。

 

そんな高度の認識の例として、長文や小説の理解構造を見ていきます。小説を読了するとその長いストーリーの割に、自分にとっての短い全体印象が形成されています。そしてそれと同時に章別の印象も残っています。これはどういう仕組みでしょう。

 

先ず長文理解、この始めは先に指摘した「手順認知」です。学習が進むと多くの手順が認知されていて、この応用当てはめにより短文くらいは理解できます。そして理解できたと言うことはその心象を、心のどこかに収納できるわけです。

 

しかし長文はなおも続いていきます。すると次の一塊についても1つの心象ができ、かつこれが前の文の心象と融合されて、より抽象的な心象、むしろ流れとして、先の心象に置き換わっていきます。

 

しかもこの心象は平面的に出なく立体的で多面的な心象です。あとはこれを繰り返して、最後まで読み通します。作者の心に没入して、これを自分なりに再現しようと、「行間を読む」心構えと能力が重要です。

 

(5)脳内深層収納

さて、心象に変換されて脳内収納された経験や蓋然法則等の知識ですが、脳の表面にあるのではありません。

 

ここで表面とは、文字や絵画や音楽と言った表現そのもので、これが外界物理と内的心象の境目なのですが、心象はもっと深いところ、特に本能に近いほど深いところにあります。逆に最近得た知見は表層に近いです。

 

ですから心象は本来、有限近似にすぎない言葉では表現できないほど脳の深くの、いわば連続体の特定点あるいは特定範囲に、収納されています。そしてこの収納されたノードが、関係の深さに応じた太さの、有向グラフで結節されていて、連想記憶として芋づる式に呼び起こされます。

 

例えばあるお菓子を食べたときに、「結構旨いね、・・・でもちょっと甘いかな」などと言いなおしたりしますが、これは言いなおしの前後でその心象の脳内位置が変わったのではなくて、同じ定点の近似の言葉により良いものが見つかったので、言い直したわけです。

 

仏陀の悟りは不立文字つまり文字が立たないと言いますが、このように深い悟りほど、脳の中の方のおよそ言葉では表せない位置にあるわけです。

 

 

 

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