アメリカの繁栄と衰退

世界の近代史や現代の力関係を見るに於いて、また近代日本の発展を考察するに於いて、大国であるアメリカ(以下大陸名と切り離すために米国と記す)、特にその繁栄と衰退の状況は外せない重要な要素である。そこで本日は米国がいつどのようにどんな理由で大国になり、そして今なぜ相対的に影響力が縮小しているかを概観しておく。なおこの概観は、世界史を見渡すと「強大な1国の世界支配」と言う状況が結構目に付くが、「これに何か人類固有の共通原因があるのか」と言う根本的な問いの、手始めにもなっている。

 

アメリカは新大陸であり、コロンブスによる発見は1492年、メイフラワー号による清教徒移住の開始が1640年、イギリスからの独立は1776年、そして南北戦争が1860年である。ここまでの米国はひたすら発展の途にあった。その原動力は一言で言うと「新規開拓の国」、つまり未開発部分を開発するだけで国力が伸びた時代であったからだ。少なくともこの時点で、米国の広い国土は、広いと言う理由だけで大きなポテンシャルであった。

 

南北戦争は日本が開国する少し前に起こった。理由は、北の工業化と南の奴隷に依る綿花栽培と言う異質の文化の対立であったが、北と南は覇権を求めて争いこそすれ、分裂して別国家になろうと言う意思はなかった。この時点で既に、領土が広いことのメリットは感じとっていたようだ。そしてこの内紛に依る消耗にもかかわらず米国はさほど衰えずに発展を続ける。未開のフロンティアが残っていたからだ。フロンティアの消滅が宣言されたのは1910年である。このころには米国は先進国の1つにはなっていたが、まだ超大国ではなくて、世界史は西欧を中心に回っていた。

 

そもそも1853年にペリーの引き入る米国太平洋艦隊が日本に寄港したのも、先進国として遅ればせながらアジアに興味を示した一環であった。米西戦争で勝利を収めて、フィリピンと言う初めての植民地を得たのが1898年である。日本との関係で言えば、1905年に日露戦争の講和の仲介をルーズベルト大統領が買って出たのは、それを以てアジアに足掛かりを得ようと言う米国のしたたかな計算があってのことと言われている。言い換えればこの時点では米国はまだ西欧に出遅れていた。

 

その米国が西欧にぬきんでたのは1914年に起こった第1次世界大戦がきっかけである。この戦争では西欧をはじめ多くの国が巻き込まれたが、モンロー主義を貫く米国はほとんど参戦せずに、基本的に世界の武器生産工場としての役割を果たした。それに依って、「疲弊した西欧と大儲けした米国」と言う構図が出来上がった。

 

勤勉なアングロサクソン系清教徒を主軸とし、農業に適した平地を多く抱え、新開国ゆえの先取の精神を基本とし、ユダヤの資本としたたかさを吸収し、電子通信や自動車産業と言った世界をリードする工業技術の生産基地になることに依って、米国の地位は大きく向上した。貪欲な吸収力である。そして1929年の世界恐慌、西欧諸国は植民地を囲ってブロック経済で防衛したが、米国には該当する植民地がなかった。これについては米国も波にのまれはしたが、摩天楼に代表される高度成長の余裕で乗り切った形である。

 

第2次世界大戦には米国も積極参加して日独伊と闘ったが、この時の連合国側の総司令官が、当時最も多くの植民地を持っていた英国ではなく、後に米国大統領となるアイゼンハワーであったのは、この第2次世界大戦当時に米国がその国力に於いて既に抜きんでていたことを象徴している。対日戦線でも開戦当初は不利であったものの、直ぐに本気を出すとミッドウェー海戦を経て、あとは膨大な工業製品に依る圧倒的な軍事力で、力の勝利を収めている。特にそれまで世界の中心であった西欧が、この戦争を契機に植民地のほとんどを失うと、米国は世界の中心に躍り出ることになった。

 

そして終戦の1945年からソ連崩壊の1991年まで、これは米ソの2題超大国に依る冷戦の期間であった。この間に米国は、モンロー主義を捨ててはいなかったが、「自由主義を守ることが即ち自国の防衛である」との立場から、自由主義国をその膨大な工業力と経済力、それにドル基軸通貨と国際連合のコントロールに依って、事実上世界の警察官を自認する程に、国力に余裕があった。石油の輸入に依る工業生産と広大な農地による農業力で、名実ともに世界をリードしていた。米国の最興隆期である。

 

但しこの間にも米国の国力は徐々に衰退の兆しを見せる。そのきっかけは皮肉にも、自由主義防衛のための遠隔地域での諸戦争での不覚な泥沼化であった。朝鮮、ベトナム、イラン、イラク、アフガニスタン等、いずれも勝利することなくあいまいな撤兵に終わり、国内に厭世的雰囲気と公民権運動の機運を醸成し、これらの内紛は、いつか解決すべきだった矛盾であるとはいえ、これら負の遺産が一気に噴き出した。また徹底した合理主義は工業生産技術の後進国移転により国内空洞化をきたし、ドル基軸通貨の重荷もあって万年貿易赤字と大量の失業率それに治安の悪化を招いた。

 

こうして、20世紀初頭に米国を大国に持ちあげたその同じ原因が今度は負の要因に転化して、米国は徐々にその国力が減衰していった。と同時に、戦後独立したアジア、アフリカ、南アメリカ等の諸国が、各自独自に国力増強に努めたために、「米国1国のみが超大国」と言うある意味非永続的な事態は徐々に解消して、世界は多国化の一途をたどっている。ソ連が崩壊した以上は世界も米国に世界の警察官を求める必要が薄くなり、その分諸国が米国依存から脱却する機運を醸成したことも大きい。

 

それでも米国の、日本に沖縄を返還したような正義と正直を愛する性格、もちろん国民全員が正義と言うわけでは毛頭なくて、むしろ拳銃社会に見られるような緊張の高い野蛮な国民性ではあるものの、その目先の不利を承知で敢えて自由と正義を守ろうとする精神は、依然として世界平和のために必要であり、仮に米国の国力が将来もっと衰えたとしても、この国と同盟して人間の尊厳の象徴である自由と正義を守る戦いは永遠に必要であると思う。

 

画像は下記のサイトよりお借りしました:

韓国にアメリカ原子力空母が4年ぶり入港、9月末には日本海で合同演習 北朝鮮をけん制:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)