日本4分割

先の大戦では、昭和天皇のご聖断によって日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、その際の連合国側の力のバランスと思惑によって、日本は外地のほとんどを失ったものの内地は分割されずに現在に至っている。ところが、当時連合国側では日本の分割占領案も検討されており、ポツダム宣言を受諾しなかった場合にはこれが実行された可能性が高い。

 

分割の方法は、「北海道をソ連、本州を米国、九州を英国、四国を中国」と言う形を基本としながらも、実際は上の図のようにもっと複雑だったようである。本日は「歴史のもしも」として、もし日本が分割統治されていたら日本は今頃どうなっていたか、特に日本人の精神的バックボーンであり洗練されたアニミズムであり一神教に対抗できる最後の砦でもある神道が存続しえたのか否かを中心に、瞑想してみる。

 

この検討は、関連諸国の国民性や地政学を基に先入観なしに瞑想するのが最善であろうが、本日は実際に分割された国として朝鮮、ベトナム、ドイツ、そして中国・台湾を念頭に置きながら瞑想を進めることにする。これらの国はいずれも、「自由主義側vs共産主義側」と言う形で分割され、ベトナムは共産主義政権が、ドイツは自由主義政権が統一の回復を果たし、朝鮮と中国はいまだに分割されたままである。

 

このうち、ベトナムは民族統一や植民地からの独立と言う強い要因があり、日本とは異なっている。そういう意味で、共産主義を必要としなかったのに分割されてしまった例としてはドイツが日本に一番近いだろう。また、もし蒋介石政権が四国も持っていたとして、毛沢東の共産軍に追われた蒋が、果たして台湾に逃げたのかあるいは四国に逃げたのか、これは判断が難しいことだが、彼が財宝を持ち逃げしたかったことを思えばより渡りやすい台湾の可能性が強い。

 

いずれにしろ、先ず上図のように4分割されたとする。米国と英国は戦前のインドやインドシナ統治を見ても分かるように、有価物の収奪はしても宗教の押しつけはしなかった。私はプロテスタントをまともな宗教とはみなしていないが、これらプロテスタントの米国のオバマ大統領に見えるような、「ボーイスカウトの坊ちゃん的良い子」の正直な性格からして、日本から天皇制や神道を奪うような手間のかかることはおそらくしなかっただろう。だから少なくとも日本の中心部において神道や天皇制は、武士道的要素を制限されながらも残った可能性が高い。

 

さらに戦後に米国が沖縄を返還したことからも見て取れるように、米英両国は日本を、もちろんそれなりに形を整えてだが、いずれ返還したであろう。とすれば日本の主要部は30年位前に変換されて、今頃遅まきながら高度成長期にあったと予想される。ここで「それなりの形」とは、日本の戦前の神社神道が国家神道でもありこの精神が暴走して先の大戦に至ったとの認識から、神社の相対化とか、自由・平等・博愛精神のもっと徹底した再教育とか、キリスト教布教の強化等である。ただし彼らのモットーとして強制改宗までは要求しなかったと思われる。

 

他方、ソ連占領域の東北と北海道においては共産主義教育が強化され、神道は壊滅状態になったことだろう。特に北海道は開拓使が浅いために神社の数が少なかった。そして米ソ占領域の境界には東西の壁ならぬ南北の壁ができ、板門店のように小競り合いすらあっただろう。しかし、シベリア抑留されて共産主義教育を飴と鞭で受け一時はその気になった元日本兵たちも、ダモイ(帰国)の船で舞鶴や佐世保に着いて日本の山河を見たとたんにそんな教育はすっかり忘れて祖国に感涙した例からも分かるように、ソ連支配下に置かれた日本人が本当に神道を忘れることはなかったと思われる。

 

ちなみにソ連の領域は偶然にもかつてのアイヌの元支配地と一致しているが、ソ連革命政府が地域文化を尊重したとは思えない。結局ソ連下の領域も東ドイツと同様に、ペレストロイカの波に乗ってゴルバチョフの人道策により解放されたのではないだろうか。この地域の人々も日本に戻れば神道は徐々に復古したであろう。

 

最後に四国、これが一番厄介かもしれない。蒋は優れた軍略家であったし、大陸を広く支配していた頃が忘れられないだろうから、今でも台湾・四国合同政府のようになっていて、運が悪ければ沖縄も台湾四国連合の手に渡っていて、今も膠着緊張状態が続いていた可能性もある。

 

それにしてもこの図で良く分からないのは、なぜ九州が中国で四国が英国でなかったかと言うことだ。その方が地勢的に治めやすかったであろうに。ただもし九州が中国の支配下であったなら、九州も毛沢東政権側に渡っていた可能性もある。もしそうであったら九州は永遠に帰ってこなかっただろう。もちろん沖縄も危ない。本気で日本は分断されていた。

 

なぜ日本が結果的に事実上米軍である進駐軍の、まとめて支配下にはいったのか、裏にはおそらく虚々実々の国際取引があったことだろう。全貌が明らかになることは永遠にないだろうが、今の視点から見ればまだ不幸中の幸いだったと思える。一種の神風なのかもしれない。しいて言えば米国のルーズベルト大統領が急死して政権がトルーマンに移ったことは大きな作用となっただろう。おそらくこのような偶然の多重の重なりなのだ。

 

以上は神道を神社神道の側のみ見たが、日本にはいくつかの有力な教派神道もあった。これらはいずれも戦前は抑圧されていたが戦後はどう動いたか、これらの動きを予測するのはなお難しい。