生者で知る人は殆どいない、いるとすれば死から蘇った
人だけそれも死んだ時の記憶を覚えている希な人だけ
極僅かな人でさえ神を見ることは叶わない。
あの世には神と同等の主という存在がいる。
神も盟主の王閻魔さえも逆らうことはできない
逆に言うと地獄行が決まってる死者が主の一存
で極楽に行けるのだ。
田宮健之助という60過ぎた男が神奈川県に住んでいる。
母親が痴ほう症で入水自殺を風呂で試みた、蘇生を試したが
既に遅く死去した。
自殺した場合地縛霊となり果ては地獄が待っている筈なのに
なぜか極楽へ行くことになった。異例中の異例である。
どういうことかと言えば答えは簡単、田宮という男が極楽の
主だから造作もないことだった。
そう主は人間に転生していたのである。
波長があえば夢で主に合うことは出来る、実際は夢ではなく
霊体として会うのである。
自殺した芸能人が田宮の夢に現れるのは珍しくはない、波長が
合わなければ願いは届かない。
願いが聞き入れられるかは挨拶が出来たかどうかで決まる。
極楽とはいい場所ではない、人間社会の営みや生活の延長線
であり食事もあれば入浴も可能だし仕事もある。極楽だけの
利点は他界した昔の人と交流できることだろう。
全ての死者が平等、憧れのあの人と一緒に畑仕事することが
可能なのだ。テレビでしか見れなかったあの人の信条を理解
できる。素晴らしいとは思わないか?
霊界のように転生はなく出会いはあるが別れはないのが極楽
天国のように霊体としての格を上げる必要も皆無、今を楽しく
生きるのが極楽なのだ。
田宮は60過ぎ世間でいうところの人生負け組だろう。
人として幸せな人生は送れなかった、子もなく両親に先立たれ
一人暮らしパート勤務で生計を立てる。
極楽の主(あるじ)と転生したのに気付いたのは40代で
心臓疾患に倒れ救急病棟で目覚めた時だった。
母が自殺したのは田宮が50代半ばの時それから2年経過
で今度は父が呼吸困難で他界した。
主(あるじ)と理解できても生活は変わらず収入が増える
事もなく仕事が楽になることもない、田宮の人生は以前の
儘、病魔と闘いながら生きることしか出来なかった。
朝3時になると神々が話しかけにきた。
水神、古代神、如来、稲荷、地神
愚痴や人々の参拝についてなどの意見についてばかり
決して田宮の寿命についての事柄は言わなかった。
田宮が聞きたいこと言おうとすると逃げるように去った
神々にとって人の寿命など関知せず人など器程度にしか
考えていなかったようだ。
田宮は今日も夢をみる。
早朝4時になると死者が現れよろしくお願いしますと
挨拶をしていく。
この物語はフィクションであり実在する団体、個人とは
一切関係ありません
サイン マック844