都内のとある大学病院、病院施設の一部を改装したものの歴史ある
レンガ造りの本館は昔のまま、現在も姿を変えることはない。
耕作が入院し翔子が見舞いの為、日々通っている病院でもある。
長い歴史のある病院である故、あるものは医師に感謝しまたある者は
挫折を知り、ある者は恐怖を感じ日々の生活に怯え過ごしてきた。
家族との惜別をした人々も多くその際、愛する人の泣き崩れる姿を見
て未練が残り成仏できない魂も非常に多い。そのような人間の喜怒哀
楽をこの病院は長い時間(とき)を見てきたのである。
日中は見舞客と通院患者で賑やかな院内も街灯がともりビルのオフィ
スに照明が光る時刻になると病院内は静寂に変わる。
此処は悔いと未練が残る魂達の拠り所、オアシスという一面もある場。
"コツ、コツ、コツ”
鋭利ま物で板を突く様な小さな音、病院内の廊下は照明が照らしてい
るのだが来たものを阻むかのように薄暗い。静かな院内に小さな音だ
けが響き渡る、”コツ、コツ、コツ”。
3Fには看護師が近寄りたくない病室がある、開かずの間が存在した。
耕作は4Fの病室に入院していたので知らなかったのだ。
半透明、透過率 50%くらいか長い髪の女性が俯き椅子に座っている
「ああーー、うぅーーー」
その女は悲鳴をあげ苦悶の表情。
繰り返し机にボールペンを突き刺す”コツ、コツ、コツ、コツ”
男に捨てられ恨みを死後も抱き続ける女の霊であろうか。
暗闇に光る陽炎のように女はいた、そこに影が現れる。
影は冷気を伴い部屋の空気は明らかに温度差を生じる、その温度差で
霧が発生。影は人型へと姿を変え男となった。
「また悩んでるのかい、いい加減作るのをやめたら」
「悪由宇(あくゆう)先生、これはわたくしのライフワークですから」
「ぺんを叩くのも癖なんですよ」
机の上には紙が載せられ詩が長々と綴られ、途中で文字が切れている
切れた文字の先をボールペンで叩いていたのだ。女霊は事故死した
蓮地逸美である。彼女は生前、作詞し歌曲を世に出す仕事をしていた。
何かを作ることは悩むことも多いし行き詰ることもある、だけども苦労を
越えて完成した時の満足度は経験したら捨てられない。
画家、小説家、彫刻師、漫画家、建築士などモノづくりの仕事は多数ある
続けていくアーティストの多くはモノづくりの魔力に魅せられた者達かもし
れない。
悪由宇と言う男も作曲家で一世を風靡した一人だったが晩年、自分の才
脳に壁を感じ感性が枯れ、惰性で仕事を続けた。死後、彼はものを作っ
てはいない。
「逸美ちゃん、いつまでもここにいては駄目だよ」
「わが主であるジャック様を筆頭とするわれら一派にはいるかそれとも成
仏して先の世界へ行くかそろそろ決めないとね」
「それは理解してます、もう少しだけあのお二人を見続けたいんです」
ジャックとはシルクハットを被りマントを翻し多くの人々を殺戮した伝説の
犯罪者、切り裂きジャックのことである。逸美はこの派閥に入れば自分は
破滅すると知っていた。”ここには長く居られない”それは自覚してる事。
だけど・・・
子供を欲しかった、結婚して円満な家庭を築きたかった。
現実は逸美のそんな想いを夢物語で終わらせてしまったのである。自分
に似た容姿の翔子を自分の鏡と考え、自分には叶うことの出来なかった
幸福(しあわせ)を掴んでほしいと願った。この場所を離れる前にせめて
耕作夫婦が笑顔で手を取り合い笑いながらこの病院を去って行く姿をみ
たい。この目的を達成する為、逸美はマヤに祈りも捧げた。
マヤと耕作が二人へ送金したことは必然であるしマヤが現世に姿を現た
背景には蓮地逸美の一途な願いが作用したのである。
悪由宇(あくゆう)が姿を消した直後、この病室をひとりの女性が訪ねて
来た。何色もの鮮やかなオーラを纏(まと)うマヤである。紅と藍の光は
河の流れになり絡みつく光の河は逸美の身体を覆う。黄色の光はさざ波
のように流れ紫と橙、碧の光はオーロラのように揺らめき降り注ぐ。
「それでこの場を去り光へと旅立つ決心はつきましたか」
「マヤ様、私を応援してくれた方々にどうか希望の光を」
逸美はファン達に別れを告げられず去ってしまった事に悔いを感じて
いた、翔子には申訳ないことだがファンの小さな願いに応えてほしい。
翔子に見せた夢、あれには逸美の想いと主張が含まれていたのだ。
「夢に出てきた私を翔子さんは自身だとまだ考えているそうですね」
「あの子にとってあなたは見知らぬ人、無理なき事でしょう」
「あなたのもう一つの願い、不動明王の力を借りれば可能です」
「マヤ様、感謝致します」
耕作の退院まであと少し、呼応するかのように逸美が現世を去る刻(と
き)も僅か数日しか残されていない。
つづく
この物語はフィクションであり実在の
人物、団体には一切関係ありません。