[短編小説] 介護のための見合い 35編 | 妄想小説日記 わしの作文

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わたしの妄想日記内にある”カゲロウの恋”の紹介するために作った
ブログです

病院を後にした秀一郎、考えることはただ一つ。

結婚を約束した幸子の事だけ、何も言わず彼女の前から

去ることに心を痛めていた。”すまない”と

 

家へ戻る幹線道路を走りながら景色をみるのはこれが最後

そう考えると心の中で熱いものがこみあげてくる。小学校時代

近所の子供たちを班を作って集団登校した時、就職してから

仕事が思うようにいかず重い足取りで通勤したあの道。

幸子と初めてデートで浮かれる心を押さえ待ち合わせ場所まで

向かったバス通り、そして苦労かけた両親のこと。

 
帰宅してからコメディ映画を見ても笑う気にはなれない
普段なら噴出してしまう電子レンジが皿を吐き出すシーン
を見ても顔が緩むことはない、口元が緩んできても出るのは
涙ばかり。
 
幸子には黙って行こうと考えたが本当にそれでいいのかとも
考えてしまう。なぜなら黙って行くのは逃げなのかもしれない
無言で彼女の前を去るのは卑怯者ではないか、幸子とは現実
(リアル)でつきあったのはまだ数か月、しかしネットでは数年
幸子は秀一郎に対し嫌なことも良かったことも常に話してくれた
彼女は何事に対しても正面から向き合い秀一郎と接した。
それなのに秀一郎は幸子に黙って行こうとしている。
 
本当の事を彼女に言える勇気が秀一郎にはなかったのだ。
 
人は人生に於いて哀しみから逃げようともがく時が誰にでも
ある、自分が泣きたくない人を悲しませたくないなどが理由で
今、起こっている出来事を信じたくはないし認識したくない。
 
余命いくばくもない自分の病気、秀一郎は受け止められたが
自分の存在がこの世から消えていく運命を幸子に告げる事
自分のせいで幸子が悲しむこと、それが秀一郎にとって最大
の哀しみとなる。
電話で幸子と話したらたぶん秀一郎は泣き出して話せなくなる
幸子は勘が鋭いので察する事だろう。
 
”さようなら”
秀一郎はそれだけ打ち込むとメールを送った。
返信されないように携帯電話の電池をはずし捨て去った。
 
「棟梁、わたしは加藤邸の居間は洋風と説明した筈です
 この畳は何ですか?これでは和式ではないですか」
 
「近頃の人はみんな畳をいやがるんだよな、畳が日本の
 風土にはよく合ってるんだ。作り終わってからそうじゃない
 などと言われてもしょうがないだろう」
 
「だったら作り直してください、私どもの会社は注文して下さっ
 お客様に対し責任を持って受けております。もし棟梁が
 できないとおっしゃるのであれば私どもにも考えがあります」
 
幸子は顧客の施工現場で請け負った工務店の棟梁と激しく
討論をしていた。いつもならば施工業者に強く言うことはない
幸子だったが2か月先に結婚式を控え仕事に穴をあけてしまう
会社代表の立場である幸子は部下に穴埋めさせることを嫌った
”自分のせいで仕事がまわらない”
そうなることが怖かったので今できることを頑張ろうと思ったのだ
もう時間がない、焦る心が幸子を強気にする。
 
会社の事務所、幸子の机に置かれた携帯が鳴り響く
誰もいない事務所で携帯電話のメール着信音だけが空しく鳴った
 
秀一郎は自宅の一室で樹海に向かう準備をしていた。
登山用のザックに重いものから先に入れてタオルなどの軽い物は
ザックの上の方に入れていく。
 
「あ、そうだ水筒を入れなくちゃ」
 
縦に長いクローゼットの扉を開けると登山用品がきれいに収納されて
いる。利き手で水筒を掴もうと手で伸ばした時、水筒は落ちてしまう。
すでに秀一郎の手はろくに何か掴むことが出来ない、手を握るだけで
痛みを感じるようになっていたのだ。幸子からの電話は出なかったの
ではない、出れなかったのだ。手で携帯を掴もうとしても手の間から
携帯は落ちてしまい自分の携帯さえつかむ事がままならない状態で
自分ではどうすることもできない、電話をかける事もできなかった。
 
水筒を落として秀一郎はあることに気が付いた。
”そうだ登山にいくんじゃなかった”
もう戻って来ることはない、今回は片道切符さえあればいいのだ。
 
自分を特定できる物は持って行ってはならない、前もって車検証は
燃やしたし車のシャシナンバーもサンダーで削り車もノーマルに戻
した。車内にはナンバーを外すためのドライバーが入っているだけ
ザックを置いてあった場所に戻し着ていく服だけ準備して眠りについた
 
その晩、秀一郎はおかしな夢を見てしまった。
役所のようにカウンターがあり女性が数人、外来者の対応をしている
ベンチシートが何列も置かれ多くの人が自分の順番を待っている様。
 
ただここは前日の世界ではないと思い知る事となる
女性のスタッフが年老いた女性に信じられない事を告げたからだ。
 
「松代さんですね、おじぃさまが先程からお待ちしてます」
 
その女性はどうみても80代はいってる筈、それなのに祖父が待つ
まぁ中には130歳くらいの人が生きてるかもしれない、別段へんでは
ないかもしれないと秀一郎は思い直した。
だが次の人の場合はここが死後の世界だと思わざる得なかった
 
「太郎、会いたかった」
 
40代くらいの男性にそう告げたのはどう見ても20代の女性。
スタッフの女性は”おかぁさま”ですと言い放ったのだ。
 
自分が死んだのだと秀一郎は信じたくはなかった、幽霊と深く
関わってた男なので地縛霊は同じように考えているのかと考え
ると現況を理解し受け止めなくてはいけない。
 
そして秀一郎の番がやってきた。
先祖の誰かだろうと考えて女性の言葉を待った。
 
「えーとですね、桐生秀一郎さんのお迎えは先祖ではないですね」
「江嶋幸子さんです、ご存知ですか」
 
覚えがない秀一郎は不思議そうな顔で頭を抱えた
「誰ですそれ?」
 
「少々おまちくださいね、調べてみます」
 
役所の事務員はそういうと書類をめくって調べはじめた
用紙を10枚くらいめくって目を通し、確信したようで
 
「あのですね、江嶋さんて方は桐生さんとは幼い頃遊び桐生さんは
 江嶋さんのことをさっちゃんって呼んでたそうですよ」
 
「さっちゃん?う~~ん」
 
「まだ思い出せませんか!向こうから歩いてくる女性がそうですよ」
 
通路の向こうからすらりとした女性がヒールの足音を立てながら
こちらに向かってくるのが見えた。
 
「シュウちゃーん」
 
片手を大きく振って歩いてくるが顔がなぜかわからない
顔に見覚えがあるとかないとかいうレベルではなく顔の構成自体
わからないのである。
 
そして秀一郎は夢から覚めた、時計を見ると深夜2時だった。
 
つづく
 
この物語はフィクションであり実在の人物団体には
一切関係ありません