これだけ医学が進歩しても治せない病気が有ります。

先天性の病気で筋ジストロフィー症は20歳まで生きれば良い方です。

私は養護学校を卒業しています。

年に一度、草薙運動場で静岡県の養護学校の生徒が集まる運動会がありました。

盲学校、聾学校、肢体不自由、知覚障害

色々な障害者を見ました。

その中で、松葉杖を使っている女性が目に着きました。

転倒したから助けようとしたら止められました。

助けたら、あの女性は車椅子になる。

それは筋力低下を招くから手を出すな。

あの娘さん、筋ジストロフィーだろうから。

それから5年後にその女性と再会しました。

大学病院の外科病棟でした。

彼女は5年前に私が助けようとした事を見ていました。

私のいた学校と彼女がいた学校のバレーボールの試合をみていたそうです。

セッターだけど凄くジャンプしてブロックしたから覚えていてくれました。

あの当時は90センチジャンプできましたからね。

私は右肩を痛めて入院中でした。

1ヶ月入院していました。

彼女は下半身がもう動かない状態でした。

私、21歳まで生きたから長生きなのよ。

彼女は私に言いましたが、寂しそうでした。

私が退院すると話し相手がいなくなるからつまらないといってました。

一度ドライブ行こうか?

ダメもとで誘ったら行くと言ってくれました。

主治医に言ったらなるべく早く行きなさいと言われました。

彼女はそんなに長くないと雰囲気で分かりました。

自慢の愛車、初代MR2で迎えに行きました。

そこで車を病院の車椅子を乗せれる物に替えました。

半日で、伊豆スカイラインから小田原厚木道路、東名高速を通て横浜まで行きました。

ベイブリッジができたばかりでした。

大黒埠頭のサービスエリアで食事して戻りました。

これが彼女の生涯唯一のドライブデートでした。

昌昭さんのスポーツカーに乗ってみたかったな。

病院に戻った時に言われました。

私は翌日から本社で3か月研修がありました。

戻ったらまた会う約束をしました。

しかし約束は果たされなかった。

私が戻る日の早朝、彼女は息を引き取りました。

彼女からの手紙を彼女の母親から受け取りました。

横浜のドライブが一生の思い出になった。

元気な姿で知り合いになりたかった。

5年前から彼女は私を思ってくれていました。

助けようとした優しさが嬉しかったです。

そう書いてありました。

皮肉なことに筋ジストロフィー症だから私に会えました。

彼女が死んで、妻に会うまで彼女を作れなかった。

聡明で美しい人でした。

今でも大黒埠頭に寄ると彼女を思い出します。

私とのドライブの日も鎮痛剤の点滴を討っていたし、帰ってからも発熱していたと後で知りました。

この日に娘は全てを賭けていました。

彼女の母親に感謝されました。

娘の短い人生に華を添えてくれてありがとうございました。

そう言われたときに、私は涙が止まらない状態になりました。

本当に筋ジストロフィー症という病気が治る時代になって欲しいです。