江戸時代の御役所で、日本で唯一現存する「高山陣屋」
高山には何度か来てるのに、ここの見学は初めてです
【表門】
天保3年(1832)に再建されたものが現存しています
毎朝開かれている陣屋前の朝市
葵紋が描かれた玄関幕
元禄5年(1692)徳川幕府が飛騨を幕府直轄領としました
それ以来、明治維新にいたるまでの176年に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、行政・財政・警察などの政務を行いました
御役所・郡代役宅・御蔵等の3つの要素を併せて「高山陣屋」と称します
順路に沿って、ゆっくりと見学してきました。
玄関は身分によって出入りする場所が決められているそうです
【玄関之間】
2間半の幅を持つ床の間に描かれている青海波は、海の波を模した吉祥文様で、江戸時代に流行したもの
無限に広がる波の模様には繁栄と平和の願いが込められていると言われています
玄関幕の前の広場の砂も波模様で造られてました
部屋の長押などに打った釘隠し
あちこちにありました🐰
代官、郡代やその部下が仕事をする「執務空間」
代官、郡代とその家族の食事をする台所
49畳敷の大広間は年中行事などで使用された書院造り
部屋からは、濡縁を通して庭が見渡せます
3部屋続きで、陣屋内で最大の広さを誇ります
幕府から派遣された巡見使などが利用したとされる部屋
犯罪者を吟味する所
自白させるための拷問道具が
近隣の村々から納められた年貢を収納する米蔵
幕府直轄領となった直後の元禄8年(1695)に高山城三之丸より移築されたもの
創建は三之丸が築造された1600年頃と考えられ、現存する江戸時代の米蔵として全国でも最古・最大級を誇ります
特徴的な板葺き屋根は、釘を使わずに板を木の棒と石で押さえる「石置長榑葺(いしおきながくれぶき)」という葺き方を採用
材料には油分を多く含み水をはじく利点を生かしてヒノキ科のネズコが利用されています
5年単位で上下、裏表を返して20年もの間、素材を生かすこの工法を現在も守り続けているのだそうです
現在は飛騨の歴史と文化を紹介する展示施設として利用
高山陣屋、明治維新後は、主要建物がそのまま地方官庁として使用されてきました
昭和44年に飛騨県事務所が移転したのを機に、岐阜県教育委員会は、全国にただ一つ現存する徳川幕府郡代役所を保存するため、平成8年3月まで三次にわたり、復元修理をおこない、江戸時代の高山陣屋の姿がよみがえりました
(パンフレットより)