macomama日記 -6ページ目

皮膚科への旅

このところ、娘が4,5回夜中に起きるようになってしまい眠くてたまらない毎日ぐぅぐぅ


それも腕を一生懸命掻いていて、かなり不快な様子。


見てみると赤くただれているようで、かさぶたもできている。


前から両手足の間接は赤くがさがさしていたが、乳幼児はむちむちしているので


通気性も良くないし仕方ないものだと思っていたけれど、夜中に目が覚めるほど辛いのかな?


と思い、朝から近隣で評判のいい皮膚科に行ってきた。


扉を開けてびっくりえっ



とにかく待合室にびっしりと人、人。それもほとんどマダムばかり王冠1


どうやら美容もやっているようで、給料日というのも関係あるのかとにかく熟女の熱気でむせそうだった。


待ち人数は60人以上(私は64番)、待ち時間にして約2時間。


諦めようと思ったけれど、これ以上辛いのを我慢させるのもかわいそうだし、


掻きむしってバイキンでも入ったら大変なので、とりあえず受付を済ませ耳鼻科へ向かった。


私はアレルギー性鼻炎持ちなのだが、何度検査しても何のアレルギーなのかわからない。


植物もハウスダストも犬も調べたけど出ない。


でも確実にアレルギーの症状は出ているので、先生も毎回結果を見る度首をかしげる。


一般的でないものに反応しているのだろうが、とにかく季節が変わるたびに目の痒みと鼻炎に悩まされ


通院しなければいけないので、一度詳細を調べるべきなのか検討中。


診察が終わって皮膚科に問い合わせの電話をしてみた。


すでに1時間半はたっていたが、「65人待ちの今は42人目です。」


あと1時間か~あせる


娘が爆睡ぐぅぐぅしていたので、今のうちにとホテル竹園でランチ。


子供がいるとお店は選ぶし、たまにしかない外でのランチタイムは絶対有意義にしたいので


私はよくホテルのカフェに行く。


野菜サンドとアイスミルクティーをちょっと急ぎぎみに口の中に押し込んで一息ついた。


そろそろかな。。?と再度電話。


「オペが入ったのであと30分くらいだと思います。」


。。。ショック!ダウン


仕方がないのでいつも行く紅茶専門店へ。


少し買い物をして時計を見ると間もなく13時。


もういい加減そろそろ順番だろうとやっと皮膚科へ。


それでもまだ6人程待っていたけど、ずっとだっこ紐でうろうろしていたので私の肩も限界ガーン


長い長い待ち時間を過ごし、やっと診察してもらったのだが、待ったかいがあったアップ


その後薬局でワセリンと軟膏を処方してもらう間一人の70歳くらいの年配の女性に話しかけられ


聞いているとその女性の旦那様はどうやら芸能関係者で息子さんも俳優らしい。


そしてご自身もなにやら教えていらっしゃるとのこと。


なかなか話を切り上げられずず~っと聞く羽目になってしまったが、さっとかばんから名刺を出され


見てみると日本舞踊で有名な流派のお家であった。


私は人に騙されやすい。


人の言う事は信じてしまうし、すぐ同情してしまう。


後から考えるとあれって嘘?とか詐欺にあったのかも?という事も少なくない。


馬鹿だなぁと思うけれど、別に心の傷以外に被害をこうむった事も大金を取られたこともないし


仕方ないかと思っている。


だから今回も幼子を連れた母親の疲れた心の隙を狙って何か企んでるのか!?


とも思うが、こちらの連絡先やプライベートな事を聞かれたわけでもない。


本当だったらなんだかすごい人に会ってしまった。


「機会があればお茶でもしましょう。宝塚(歌劇)を観に行ってもいいし。」


と言われ、お断りするのもなんなので名刺を頂いてお先に失礼した。


結局トータル3時間以上も時間がたって、駐車料金は3000円の買い物をして割引されているにもかかわ


らず、2000円かかってしまったドクロ¥


朝からたかが皮膚科に行くだけが、ちょっとした“旅”になってしまった。


それにしても私の住んでいる地域は“山側”に行けばいくほどびっくりするような人たちが住んでいる。


普通のおじいちゃんだと思っていたのに超有名・大企業の会長だったなんて当たり前にある。


ひょっとしたらあのおばあちゃまも本当に本当なのかもしれない。














ママと呼ばれて。

あっという間の3連休。。。


旦那さんが土曜日仕事だったので、私は子供を連れて実家へ車


日曜に母と兵庫県の防災センターへ新生児用の防寒着を持って行ってきました。


山一つ分はあろうかというくらいめちゃくちゃ広大な施設!!


神戸の震災後に建てられたので、おそらく物凄い設備が整えられているに違いないひらめき電球


施設のゲートを入って受付まで行くと、思ったよりかなり閑散としていて拍子抜け。


「大丈夫なの??物資は集まってるの??」


少し不安がよぎる。


スタッフの方にさりげなく「だいぶ集まってますか??」と聞くと、


「今日は朝から300人ほど来られました」とお答えが。


名簿に名前、住所、持ち込み物資の数を記入する間、ちらっと他の方々の持ち込み物資数が目に入った。


今回は新品・新古品のみの受付なので、やはりなかなか大量に提供するのは難しい。


時期的に冬物はほぼ店頭で販売はされていないし。


私も西松屋で使えそうなものをやっと2枚見つけた。


みんな3,4枚ずつ持ち込んでいるようだったが、それでもかなりの量にはなる。


暖をとれるようになればまた必要なものは変わってくるので、今からすこしずつ赤ちゃん用の肌着などを


用意しようと思っている。


気付けば3月ももう終わり。。。


うちの娘は8ヶ月目を迎え、ますますワンパクにDASH!


はいはいもどき??をするようになり、床をモゾモゾはいずりまわるかたつむり


そしてついに「ママ~」というようにクラッカー


マ行は言いやすいのでなんとなく口にしているような気もするが、おととい泣きながら明らかに私を呼んでいる!!


そう思った。なんだか変な気分。


今までは家事の最中に泣きだしても“ぎゃーぎゃー”言ってるだけだったので


「待っててね~あせる


と声をかけてある程度放っておいたのに、はっきり呼ばれるとなんだか落ち着かないガーン


洗濯物を干す手元がなんだか焦りでもたついて、余計に時間がかかってしまう。


“ママ”


私自身は物心ついてからずっと母を“お母さん”(最近は“母上”の時もアリ)としか呼んだことはない。


小学生の時に、クラスメイトの女の子が「ママがね。。。」と楽しそうに話すのがちょっとうらやましくて


ある日ありったけの勇気を振り絞って「ママ」と呼んでみた。


母はぎょっとした顔をして「なによ気持ち悪い」と一言。


恥ずかしさと後悔でいたたまれなかった事をいまだに覚えている。


私と母は仲は悪くないけれど、いまどきの仲良し母娘とは全く違う。


母は理系の人間だから理解力の足りない娘にイライラすることも多かったし、涙もろく情に厚いところも


ある割には冷酷な所もある。


完全なる縦社会だった。高校に入るまでは。


このころの子供はそうなんだろうけど、いつも母を喜ばせよう、ほめてもらおうと必死だった。


自分が子供を産んでやっと母との関係が“親子”になったと感じている。


それまでは間に分厚い壁がどんっとそびえ立っているような感じで、いつも孤独だった。


最近自分のことをよく思い返すのだけれど、私はさみしかったんだなぁ。。。と思う。


これまでにいろんな事があり、「そんな人間が子供なんて産んだらダメだろう」と非難されるかもしれない。


“いいお母さん”にはなりたいけれど、何がいいお母さんなのかわからない。


だから今、私の娘との毎日は娘と私の笑顔を探すことで過ぎている。


ママと呼ばれてふと思った。


あの時私の「ママ」が違った形で受け止めてもらえていたら


何か変わっていたかもしれない。















救援物資

11日のお昼すぎ。


私は子供をお昼寝させてテレビをつけたままついつい自分も一緒に眠ってしまった。


騒がしいテレビの音、なんとなくユラユラ揺れている照明に気付き目が覚めた。


それが地震発生時。


まさかこんなに大きな被害を受ける地震だとは思いもよらなかった。


16年前


私も阪神淡路大震災で大きな被害はなかったものの、震災を経験した一人。


大好きな神戸の街がボロボロな姿になり、たくさんの人が亡くなり、本当に深い悲しみが溢れていた。


そして今回の東北の大震災。


テレビでしか状況はうかがえないけれど、津波の怖さと非情さを知らされた。


自分の生まれ育った町、慣れ親しんだ家、人。。。全てが“無”になってしまう。


こんなに恐ろしいことってあるだろうか。


寄付金ももちろんですが、兵庫県では明日17日(木)から24日(木)*必着


までの期間限定で防寒着(コート・ジャンパー等)


*新品・新古品のみの救援物資を受け付けているようです。


私も早速ベビー用の未使用衣類とマフラーなどを発送しました。


大人ももちろんですが、まだ生まれて間もない子供達もたくさんいることと思います。


微力ではありますが、一人でも多くの子供達の助けになれるように引き続き支援させていただこうと


思っています。


兵庫県HP パソコンhttp://web.pref.hyogo.jp/ac20/ac20_000000136.html#h03

(救援物資の受付)