macomama日記
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体と魂の浄化。

昨日妊娠以来行っていなかったのだが、体と魂を整えに行ってきた。


元々旦那サマの友達である漫画家H先生のご紹介。


今回はちょっとスピリチュアルなお話なので、お好きでない方には不快でしょうが。。。


私は子供のころからめちゃくちゃ感受性の強い子だったので、


大人になっても引き続き。。。。


しかし年齢も重ね失敗だらけの人生を送る毎日のおかげか若干丸くなっている。


“不思議な体験”は数々。


だけど、ちょっと変わった子供だったので、それが普通でないこともわからず、


自分がいわゆる霊感があると気付いたというか実感したのはここ数年。


旦那サマの実家の御墓参りをした時、あまりにも居心地が悪く失礼ながら早めに退散。


その日からとにかくイライラが止まらず、毎日喧嘩。


大声でののしりまくりの喧嘩をしたある晩、一人でソファベッドで眠っていると夜中にふと目が覚めた。


目の前にはぼやっとした輪郭ではあるが、明らかに中年の男性の顔。


逆三角形の輪郭に黒ぶち眼鏡、七三分けの前髪。


びっくりして起き上がり、「おじさんの顔が。。。おじさんの顔が。。。」と口にしながら旦那サマを起こした。


その翌日、新地のラウンジでバイト仲間だったしょうこさんが結婚するというので、数年ぶりに集まって食事をした。


楽しい時間を過ごして帰り、翌日しょうこさんにメール。


するとしょうこさんからありがとうのメールが返ってきたのだが、内容を見てゾッとした。


「昨日おじさんの霊を連れて帰ったんだけど、誰についてたのかな??逆三角形の顔に黒ぶち眼鏡で七三分けのおじさんなんだけど」


そんな話は食事中一切しなかったので、何より自分に見えていたと確信してしまった事に衝撃だった。


しょうこさんは代々イタコのお家らしく、年に何度か高野山に修行に行くとだいぶ昔聞いたことがある程の霊感の持ち主。


そのおじさんは私たちには全く縁もない人物だったのだが、結構しぶとく居座った後、無事に成仏してくれたらしい。


それからというもの、なんやかんやでそっち系で悩んでいたのだが、あるとき紹介していただいたのがT先生だった。


ぱっと見普通の整体院だし、整体するの???という感じだったのだが、整体しつつもいわゆる除霊もしていただき、体も心もラクになった。


感じたり見たりするのは脳の欠陥ではないかと一時期思って病院で検査までした。


心療内科にも通って“自分は病気なのでは???”と不安にもなったのだが、


T先生の話を聞いてなるほど~と思った。


ぶっちゃけてしまえば、「霊」なんて私は見えてしまうこともあるが、よくわからない。

幻覚?と思う事もあるし、半信半疑なのだ。


それで大金を稼いでいるならちょっとなんだか。。。という感じではあるが、T先生は整体がメインだし、


何かを勧められることもない。


料金も普通。


何よりT先生の持つ空気が何やらすごい。


40代くらいの女性なのだが、眼力が強烈。


一緒に食事をしたりお酒も飲んだ事もあるが、何とも言えない雰囲気がある。


独特の色気もあって私はなんだかドキドキしてしまう。


昨日は弟を運転手として娘と一緒に行ったのだが、弟の事までばんばん言い当てて改めてびっくり。


「霊」というものは電気の塊のようなものらしい。


だから脳に直接作用して“見える”やら”聞こえる”現象を起こすという。


確かに心霊スポットといわれる場所では電磁波の数値が高いらしい。

ディスカバリーチャンネルでも言ってたな。。。


ここ数日目の前がチカチカして頭痛があったのも、貧血かな?と思っていたが、


結構な量の霊に憑かれていた様子。


先日はたまたま旦那サマのつながりで知り合った女性とお茶中に、黒い野球ボールくらいのふわふわした塊が突然現れて私の方へ飛び込んできた。

私はそれを丸のみしたような感覚になって、その瞬間私も彼女も同時に涙ぐむということもあった。


私の体質的に同じような能力を持つ人間を寄せ付けてしまうのが、良くもあり悪くもある。


霊にしてもそうだが、何かしら影響があるのでほんとに困る。


しかし何より怖いのは生身の人間だと思う。


確かに「霊」は気持ちのいいものではない。


だけどいわゆる怪談話もただゾっとするだけの事で、本当は怖いものではないと思っている。


やっかいだけど汗


それでも本当に霊っているの??と聞かれたら、「う~ん。。。」という感じ。


テレビでやっているような事はほぼ作られている娯楽でしかないと思う。


人間の持っているパワーは全て解明されてはいないし、「念」とかってあるのだと思う。


日本には「言霊」という言葉もあるし、言葉には力がある。


人は言葉で人を心地よくさせる事も最高の喜びを与える事もでき、幸せを与えられる。

地位やお金さえ動かすことができる。

そして失う事も傷つけることも殺してしまうこともできるのだ。


それだけ恐ろしい力を持つものを私たちは持っている。


それを今、改めて考え直す必要があるのではないだろうか。とふと思う。









あっという間。

あっという間にもう8月。


娘もあっという間に1歳になったクラッカー


生まれてきた瞬間の事は今でも思い出すと涙がでる。


べろんべろんに酔って帰ったバカ旦那(この件だけは一生根にもってやる)のおかげで


寝ている両親を電話で起こし、無理やり来てもらったのだが、


母は仕事で忙しく寝る時間もあまりなかったのにずっと付き添ってくれた。


陣痛でのたうちまわる私を見て、「孫ももちろん大事だけど、お姉ちゃん(私)が死んじゃうんじゃないかと思って。。」


と思ったらしい。


出産の瞬間、私は子供が無事であったことと母の涙ぐむ顔を見て、声をあげて泣いた。


恥ずかしながら、その時初めて”親子”であることを実感できた。


自分が親になって思うのは、子供に対しては素直に気持ちをぶつけていくべきだということ。


きっと母もヒステリーを起こしながら心を痛めていたに違いない。


ヒステリーは一時の感情であって、本当に心からそう思っている事ではない。


私だってたまにい~~~~っ爆弾となる。


このイライラを子供にぶつけることなく、旦那にぶつけることなく(今回は旦那呼ばわり)いかに解消していくのかを現在模索中。


樫木式のDVDもトレーシー・アンダーソンもゲット。


たまにやるとすっきりだけど、それをセットしてプレイを押すという気力がわかない。。。ガーン


ということで、現在の私は断捨離に走っている。


しょっちゅう行っている芦屋浜にリサイクルショップがあって、


そこでは身につける物はたいてい買い取りしてくれる。


その場しのぎで買ったノーブランドの服でもOKグッド!


たまたま財布を買い替えたので持って行って、すっかりはまってしまった。


とにかくクローゼットやチェスト、押入れをひっかきまわしていらないものを集める。


毎回紙袋にいっぱいの服やら靴を抱えて行くのだが、それが何とも気持ちよく、お金になって返ってくるという


ちょっとうれしい特典つき。


もともと思い立ったらがんがん捨てていた方なので今までがもったいない事をしまくっていた。


ブランド物でも普通に捨てていたのだから。


30代になるまである程度の贅沢な事はさせてもらった。


物欲は人並み以下だったが、「いいものを身につけて自分のレベルをあげていけ」という男性達のおかげで


気付けば一流品に囲まれた生活の時もあった。けれど、そういう生活を捨てて初めて手放したときに頭の中で


何かが弾けた。


そして思った。


物は物でしかない。


何十万とする高級品も売ってみると3分の1程度にしかならない。


物の価値というのはたかがそんなものなのだ。


今私の手元には両親からもらったものしかない。


それも手放したと知ったらうるさいだろうから置いているだけ。


物に対して執着すると他の事が見えなくなる。


あくまで私の個人的な意見だけれど。


だからといってブランド品を一生買わないかというわけでもない。


一目ぼれなら買う。一旦お茶しながら考えるけど。


最近ウィンドーショッピングが楽しくなってきた。


昔はこれが欲しいと思うものしか買わなかったけれど、物とも出会いである。


だからその時買えるだけの手持ちがなかったら、それを所持するべき存在でなかったと思うし、


お茶してる間に売れてしまったならそれも縁。


しかし「あれが欲しくてたまらないんだ!!」という熱い情熱が恋しい時もある。


子供みたいに床に寝そべってバタバタと泣き叫びながら「買って~~~」と言ってみたい。(いまどきあんまりいないけど)


私は恥ずかしがりで妙に聞き分けのいい子供だったから、自分の娘には是非やってもらいたい。


その時私はどう対応するのかを考えるとちょっと楽しい。


いっそのこと周りも気にせず一緒になってやってやろうか。。。にひひ






しつけとは??

このところ娘は自我意識も徐々に強くなり、“母”としてどう接していくべきか日々考える。。。


よく一般的にはグラフで何カ月頃はこんな感じで~とかどんなことができて~とあるが、あくまでも目安なので押しつけがましい本や雑誌なんかはうっとうしくなるむっ


だいたい子供の本来持つ力を下げるのは親や周りの大人なんじゃないかと思うのだ。


私は幼稚園のころからいろんな習い事をさせられた。


“させられた”のだから本人は楽しいわけがない。


レッスン中には先生に怒られ、家で練習しても母に怒られる。


いつしかお腹が痛いなどと言って仮病を使うことを覚え、嫌なことから逃げるようになった。


仮病を使っても無理やり行かされるのだが、それをまたどう避けるか逃げ道ばかり考えるように。


ある意味才能開花。


まだ始まったばかりの私の育児ではあるが、いろんなものを見せてあげようと思っている。


それは道端に生えている草でもいいと思う。


へたくそな歌でもいいと思う。


お金をかければ世界は広がる。


でもそれは大人になってからでも十分。


大人になってから道でしゃがんで花を見たり、砂を触ったり、人前で歌ったりできるだろうか?


歌は望めばできるけれど、突然歌い出したらただの変わった人である。


子供と一緒なら何でもできる。


周りの人からだって何とも思われない。


つかみだちを始めた娘に毎日ハラハラ、時折イラっとさせられることも。


よりによってそこに行くのか、それを触るか、という事ばかりやってくれる。


30過ぎてだいぶ気も長くはなったけれど、沸点はまだまだ低い方。


だからイライラすると、自分の胸をぽんぽんと叩いて息を吐くというアクションをマイルールにした。


私にとって子育ては修行。


自分が叩かれていたからと言って、叩いていいわけがない。


私には見習うべきしつけの“先生”は身近にいないので、ほぼ体当たりの毎日。


たまに本も読んでみる。


以前たまたまアマゾンで検索中に見つけた「お母さんはしつけをしないで」という本がある。


人間一人が書いているので賛否両論だろうし、これが正しいわけでもない。


育児本などはあてにするものではないけれど、それを参考に自分なりに考える材料だと思う。


この本を読んでいるとざくっと心に刺さるものがあった。


「まさに私じゃないか」と。(筆者の思うつぼ??)


小さいころから本が大好きで、用もないのにしょっちゅう本屋に行くのだが、不思議なことにふらっと手にする本がその時自分が欲している内容だったりする。


この本もまさにそう。


これをきっかけに自分の過去と改めて向き合い始めたようなもの。


たまにしか読めないので、ちょっとずつしか進んでいないが、逆にそれがいいと思う。


冷静に判断できるから。


読む度に考えさせられている一冊である。









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