さて、国の重要無形民俗文化財にも指定されている、
『秋田竿灯まつり』について、ご紹介致します(^^)。
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2010年の『秋田竿灯まつり』のパンフレットなどによりますと、
竿灯の始まりは、江戸時代中頃の1751年から63年の“宝暦年間”。
今の「千秋公園」に秋田城や武家屋敷があり、その辺りを“内町”、
内町からみて旭川の対岸にある町人街を“外町”としており、
“竿灯”は、外町に住む町人たちの手によって生まれました。
彼らは、この“竿灯”に、2つの“祈り”を託しています。
それは、“ねぶり流し”と“五穀豊穣”。
▼おぉ・・・ここでも“ねぶり流し”ですか。
「青森ねぶた」などと同じ由来なんですね(ノ゚ο゚)ノ。
外町の町民たちは、ご先祖さまをお迎えする“お盆”の前に、
邪気などを“おはらい”することで身を清める“ねぶり流し”と、
素晴らしき“実りの秋”を迎えたいという祈り(五穀豊穣)を込めて、
灯りをともした提灯に竹ざおにたくさんつけ、街中を練り歩くようになりました。
すると、その練り歩く姿が歴代の藩主の目に留まるようになり、
のちに手厚く“保護”されるようになったそうです。
当時の名残として、この頃から祭りに参加していた町には、
九代目藩主が描いたとされる“町紋(注)”が数多く残っていて、
藩主と町民の結びつきの深さを表す“しるし”となっています。
(注)町紋・・・今の市町村章のこと。
東京都中央区では、日本橋などの欄干に付けられていた
擬宝珠(ぎぼし)をモチーフにしたもの、
大阪市では、水上の道しるべであった“みおつくし”が
設定されるなど、そのエリアの“シンボル”というべきものを
図案化したものが多いようです。
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ところで、前回の記事で紹介した写真を見て頂きますと、
この『竿灯』ですが、とてつもなく大きなモノであるということ、
実感されると思います。
この『竿灯』のサイズですが、4つに分けられていまして、
最も大きなサイズだと、高さが12メートル、重さは50キロ。
つまり、60キロもある米1俵より少し軽いくらいの重さなんです。
そして・・・竹ざおに提灯を、小さいさおでは24個、
大きなさおで46個付けまして、夜の秋田を練り歩きます。
~続きますっっ!