濡れた逢いびき | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

ラピュタ前田陽一特集で2本。

 

「濡れた逢いびき」

原作はご贔屓、土屋隆夫で、複雑で貧乏な「アメリカの悲劇」あるいは「死の接吻」みたいな話なのだが、シナリオ、というかお話し自体は悪くない。

結婚を約束した二人(田辺昭知と加賀まりこ)が互いに殺意を抱き始めるという話で、うまくやれば二人を殺人へと次第に追い込んでいくぎりぎりした心理サスペンスにもなるだろうし、ブラックコメディにもなりうるだろう。

 

ところがどうも前田陽一演出がしまらない。どう転がしていくのかが定まっていない。シナリオのせいってことじゃなく。

例えば加賀まりこへのコメディ演出が過剰だし、端役のオーバーな芝居ももっと抑えたほうがいいだろうし、田辺昭知は頭の弱い青年としか思えない。二人の関係が変化していく様を、脇筋を膨らませすぎ、コメディに落としすぎているように思う。

 

これが岡本喜八なら、中平康なら、コメディとサスペンスの塩梅がもっとうまいんだけどなぁ、という出来で、なんとなく喜八がアイリッシュを映画化した「ああ爆弾」を思い出しました。

 

ちなみに田辺昭知と加賀まりこが岩場で語らう長いショットが悪くなく、前田陽一、ってより松竹の職人技を見た感じ。あと、田辺昭知が思いを寄せる勝又道子って女優が可愛い。jmdbによると、本作しか映画出演はないようだ。

 

それと、やっぱ加賀まりこのアップってのは別格にすごいね。なんだろうねこの人。

 

これが噂の勝又道子

 

 

「虹をわたって」

意外にも、ホントに意外なんだけど、こっちが意外に良かった。いや、そんなに良いわけじゃなく、いいとこ探そうモードで観てるからなんだが、絵に書いたようなザッツアイドル映画に、前田陽一らしさをなんとか入れ込んでる感じが悪くない。

 

といっても絵に書いたようなザッツアイドル映画だから、途中までは相当に酷く、天地真理の白雪姫となべおさみを長とする七人の小人たち、っていう設定もなんだか気持ちが悪いのだが、終盤近くになって、森崎の70%くらい盛り上がる。

 

白馬の王子、沢田研二がヨットに乗って川岸にいて、それを橋の上から見送る天地真理を捉えた、不安定なロングショットがいいし、二人を乗せたヨットが小人たちと別れるシークエンスがなぜか盛り上がる。カットを細かく割って頑張ってる。気持ちの悪い小人たちを捉えたトラックバックとかすごく良く、歌がいいからってのもあるけど、なぜかわからないが盛り上がる。

 

クライマックスで天地真理をおんぶして延々と喋る日色ともゑもいいし、ラストの苦い味わいもいい。

 

にしても、あれだな、冷静にみて、客観的にみて、ハリウッドの新作より遥かにつまらない日本映画のプログラムピクチャーの方がなぜか満足できる、ってのは、俺が年取ったからだと切に思うね。命の洗濯をしてる感がすごいね。

 

 

濡れた逢いびき

1967年(S42)/松竹/白黒/85分

■原作:土屋隆夫/脚本:野村芳太郎、吉田剛/撮影:加藤正幸/美術:重田重盛/音楽:山本直純

■出演:加賀まりこ、田辺昭知、勝又道子、谷幹一、山東昭子、大泉滉、左卜全

 

虹をわたって

1972年(S47)/松竹/カラー/88分

■脚本:田波靖男、馬嶋満/撮影:竹村博/美術:佐藤公信/音楽:森岡賢一郎

■出演:天地真理、沢田研二、萩原健一、岸部シロー、日色ともゑ、財津一郎、有島一郎、なべおさみ