風と女と旅鴉 | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

ラピュタで久々に加藤泰を観た。

昔々観ていたのだが、こうも凄いとは思わなかった。

 

ひょこひょこと妙な歩き方で山道を行く三國連太郎をローアングルで捉えたショットで映画は始まるのだが、まず、その山道の捉え方がドキュメンタリー風、どこか異様な雰囲気。「股旅物」にありがちな男二人の気楽な旅じゃないぞ、と。

 

そして、いろいろあって、中村錦之助は生まれ故郷の村で、妙な色気を醸し出す長谷川裕見子と出会う。二人のラブシーンが凄かった。

 

カメラはゆっくりと移動しながら自分の身の上を語り合う中村錦之助と長谷川裕見子を捉える。二人は立ち上がり後景へと身を移す。ここまでが1カットの長回し。

錦之助が銃で撃たれた痛みに耐えをかねて上がり框に倒れ込むと、錦之助を真横から捉えたローアングルへとカットが割れる。続いて同軸上にカメラがポン寄り、寝そべる錦之助を長谷川が覗き込み、二人の視点は真逆に重なることとなる。

そして錦之助が立ち上がり、長谷川は奥の居間へと後ずさる。長谷川を追う錦之助をトラックバックするアップショットと、トラックアップする長谷川のアップを切り返す。そして錦之助が長谷川を抱き寄せキスをするアップにつなぐ。

 

いがみ合う男女が動き回りキスへと至るという、いかにもマキノ的な、舞踏的なシーンであってもおかしくはないのだが、錦之助の切羽詰まった表情と、前後退移動するアップショットの迫力、そして唐突なキスは、むしろこの映画の2年前に公開された中平康の「狂った果実」での裕次郎と北原三枝のラブシーンや、大島の「青春残酷物語」、吉田喜重の「嵐を呼ぶ十八人」でのレイプシーンを思い出させる。

蓮實御大が「日本侠花伝」について指摘したような、ななめに交錯する視点で二人はキスすることになるのだが、このシーンが持つ熱情、エロティシズムは時代劇の約束をはるかに超えている。

 

加藤泰は「この映画に出てくる奴が、皆、僕の打ち込めるやつばかりだった」と言っているのだが、まさにこの映画が描く中村錦之助は単なるずるい奴であり、チンピラで、太陽族や松竹ヌーヴェルバーグの若者たちと変わらない。

錦之助は出戻りの長谷川裕見子の色気に欲情し、丘さとみの体を見つめ、何をしでかすか自分でもわからない。そして村人たちへの憎しみを抱きながら、ほとんど気まぐれに、場の雰囲気に流されるように村を守ろうとするのだ。

 

そして、キスをするアップショットに続いて、戸口が開き三國連太郎が帰ってくるバストショットがつながる。

二人のキスを目撃したのだろう、入ろうか入るまいか戸惑う三國の様子を捉え、カメラが切り返すと、既に錦之助と長谷川は離れ、錦之助は画面中景の柱にもたれかかり、長谷川は後景で背中を見せている。

 

三國の長めのアップを挿入しているから二人の位置が異なっていても決してつなぎ間違いではないのだが、持続的でリアリスティックなつなぎから、立ち位置をしっかりと定めた構図主義的なショットの挿入はどこか奇異な感じをもたらす。持続したショットと断片的なショットの並置。

この奇異な感じはどこか鈴木清順を思い出させるというと言い過ぎだろうか。あるいは後年の「炎のごとく」や「日本侠花伝」で見られる実験的なショットの萌芽のように思えるのだがどうか。

 

加藤泰は本作を「自分としても最初の仕事らしい仕事」と言う。本作以前の「源氏九郎颯爽記」や子供映画「忍術児雷也」ですらしっかりと面白いのだが、加藤泰がこう言うのは、ローアングル、同時録音、ノーメイクといった後年の加藤泰を特徴づける技術を初めて徹底したというだけではなく、後年の作品につながる自身の作家性を無意識に表せたからかもしれない。

 

そしてラスト、進藤英太郎ら悪党連中の死骸が転がり、三國連太郎と錦之助が呆然と坐りこむ1ショット。加藤泰の長い固定画面が続く。

しかし例えば「遊侠一匹」の雪の夜の固定画面のような鮮明さや叙情はそこにはなく、スモークのように土埃がもうもうと画面を覆い全てが不可視の領域にある中、二人は無表情のまま視線を交わせもしないし、錦之助は立ち上がり、その足だけをカメラに示す。

続いて映画は、中村錦之助が村から旅立つ、いかにも「股旅物」のラストにふさわしい、空を大きく開けたローアングルのショットを用意するのだが、時すでに遅し。前のショットが、このラストショットの通俗を無効にする。

 

加藤泰は「股旅物」「長谷川伸的世界」といった保守的な題材、紋切り型の時代劇を題材にしながら、当時のヌーヴェルヴァーグに呼応するような革新的、実験的な作家であった。その過激さは山下耕作的な審美性、あるいは自身、加藤泰的な叙情性といった「美しさ」をも消滅させるだろう。

はぐらかされた「美しさ」の前で、だから蓮實重彦は「なんのように美しいかを比喩に語らせることしか残されてはいない」と言うのだ。

 

「風と女と旅鴉」1958年/東映京都/白黒/90分

■監督:加藤泰/脚本:成澤昌茂/撮影:坪井誠/美術:井川徳道/音楽:木下忠司
■出演:中村錦之助、三國連太郎、丘さとみ、長谷川裕見子、薄田研二、進藤英太郎、加藤嘉、殿山泰司、星十郎、河野秋武、上田吉二郎