泥棒番付 | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

誰が観ても変なシナリオ。その変さをカバーしない演出。
例えば、大泥棒の勝新太郎が与力、内田朝雄に捕まるが、なぜか内田は無罪放免とする。以後、勝新は内田に心酔していろいろやるという設定なのだが、じゃ、内田のカリスマぶりというか、勝新が惚れ込むに足る一瞬を画面で示して欲しいのだ。シナリオにそういうシーンが書かれていないなら、それをなんとか画面で示すのが「演出」だろう。

それと女が弱い。「辻褄をあわせるのは役者の仕事」なのだから。これで藤村志保ならまだ納得できるシーンが仕上がったのかもしれない。巨匠のシナリオを預けられ、この頃はもうわがままになってたであろう勝新とパッとしない女優の中で、池広一夫、ちょっと可哀想かもしれぬ。

池田屋襲撃を京都の街並の屋根越し、その大ロングで捉えた冒頭のクレーンショットなんて、もぉ大映だし、雨合羽の後ろ姿の伊達三郎(雨合羽が油紙、という格好良さ)とか、無茶苦茶わくわくして観てたんだが、ちょっと辛い出来。

「泥棒番付」
S41('66)/大映京都/カラー/シネスコ/1時間22分
■監督:池広一夫■脚本:伊藤大輔■撮影:武田千吉郎■音楽:鏑木創■美術:西岡善信
■出演:勝新太郎、青山良彦、小林哲子、内藤武敏、藤岡琢也、内田朝雄、戸浦六宏