歪んだ関係 | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

これは傑作。

今の目で見ればそうたいしたことはないとはいえ、地味ながらしっかりとしたトリックを構築し、登場人物それぞれの回想をミスディレクションにしつらえ、発端の不可思議性、中途のサスペンス、意外な犯人と、これは堂々たる本格推理サスペンス。

若松孝二は手堅い職人技を発揮するにとどまらず、見るものと見られるものの関係を主題とし、実にキレのいいショットをみせてくれる。

妻の死体をなめるように捉えたアップショットに続いて、それを見ている主である夫のアップ、この冒頭のシーンが宣言するように、彼は終始、窃視者として、妻の日常と他人とセックスする妻の姿を見ることとなる。
スクリーンを擬した矩形の枠を通じて見るものと見られるものが対峙するのも面白いのだが、それ以上に、妻の日常が、窃視者の目を媒介にして、不意に非日常となる瞬間に感動した。

映画はこの「歪んだ関係」を追求するのかと思いきや、語り手を変え、それぞれの回想がつづられることとなる。前述したようにそれがミスディレクションになっているのもいいのだが、その中で一人の女の姿がふっと立ち上がってくるのが素晴らしい。

ラストのツイストに至るまで、推理ものとしての体裁をしっかりと整える職人技、そしてそこからはみ出すような存在感を示す一人の女。
びっこをひく女の姿と、高台に建つ小屋、それを見つめる刑事たち、路地に逃げ込む犯人、その路地の佇まい。全編にわたる扇風機のインサートもいい。

「歪んだ関係」 1965年/国映/白黒/76分 
■監督:若松孝二/脚本:大谷義明/撮影:伊東英男/音楽:伊東義太郎
■出演:新高恵子、城山路子、林孝一、吉沢京夫、寺島幹夫、藤田功