東海道四谷怪談(歌舞伎) | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

東海道四谷怪談(新橋演舞場・五月大歌舞伎)
配役/吉右衛門(民谷伊右衛門)、福助(お岩さん・小仏小平・お花)、染五郎(佐藤与茂七)  
錦之助(奥田庄三郎)、芝雀(お袖)、歌六(宅悦)、段四郎(直助権兵衛)
演出/串田和美

ちょっと前に鶴屋南北の原作に感動したばっかで、ナイスタイミング、新橋演舞場の5月大歌舞伎で上演され、大期待、わくわくわくわく行ってきました。

歌舞伎を観るのは生まれて初めて、まるで門外漢なので、以下の感想には眉に唾つけて読んで頂きたいのだが、歌舞伎アトラクションとして観ると、これがもぉ無茶苦茶に面白かった。一方、なんつうか、映画的に観ると、というか、ま、冷めてみると、ちょっと不満がある。

面白かったのは、やはり原作の持つ筋立ての面白さ、構成の凄さ。そして、それを芝居として観て改めて気づかされたことが多々あったこと。

例えば、序幕のラスト、伊右衛門と直助という二人の殺人者のドラマが「大見得を切る」ことによって、すぱっとまとまる。
つまり映画でいえば、1ショットで(説明ではなく)物語が成立してしまう、とでもいおうか、その歌舞伎的演出に感動した。

また、お岩さん(福助)が毒薬をそれと知らずに飲み干してしまう一人芝居、有名な髪鋤の場などは、同じく映画風に述べるなら長回しとでもいうべきで、その芝居の見事さに唸り、緊張で身体がこわばる。これは素晴らしかった。

さらに見せ物としての面白さ、アトラクション的な面白さ。
長い長いお岩さんの見せ場の後で、花道をだだだだだと人物が行き交う、その緩急、幽霊が出る際、殺される際の仕掛けの数々、暗い暗い照明の見事さ、その中で黒く沈んでいる部屋の演出、そして暗い舞台が一転して明るくなるケレン、主要人物が一同に会し様式的な殺陣を交わすシーン(歌舞伎用語でなんというのかは知らないが)は、鈴木清順じゃん、と。見る順番が逆なのだが。

一方、不満もそのアトラクション的な方向にあり、原作はもっとドロドロ、血みどろの残酷劇だし、だからこそ、わかることがある。しかし、なんというかハリウッド的とでもいうか、観客ありき的な水増し感、そつの良さ、媚びがある。

あと1時間増やして(ちなみに上演時間は実質3時間30分あったのだが、それでもなお)第4幕(三角屋敷の場、孫兵衛内の場)を演じてほしく、でなければ直助の登場する意味がないじゃん、あるいは映画がしてきたように、伊右衛門の物語として脚色してほしかったし、コメディ風の演出もどうかと思う。

ラストはやっぱ、雪が降りしきるスペクタクルの中で、出演者全員皆殺し、血も凍るような、いやなもの観ちゃったなぁ、後味悪いなぁ、と思わせる芝居をこそ観たかったのだ。
事実、福助の演技にはそれがあった。

と、まぁ、それが歌舞伎なんだよ、と言われればそうなんだろうし、「本日はこれまで!」の挨拶がとてもとても清々しく感動的であったのも事実、痛し痒し、どえらく満足して帰ったのであった。