マイ・ブルーベリー・ナイツ | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(2008/95分)
監督/ウォン・カーウァイ、脚本/ローレンス・ブロック、ウォン・カーウァイ、撮影/ダリウス・コンジ

舛田利雄なら「三ヶ月後、神戸」とタイトルinするところを、ウォン・カーウァイは「NYから何とかマイル、85日後」とかっこ良く決めたタイトルを入れるわけだし、「僕はアル中で寂しい」と言うところを「カジノの白いチップが何とかかんとか」とか言うわけだし、あるいは客が注文しなかったブルーベリーパイを、そのおっしゃれなアップショットと共に何とかかんとかの比喩として提出するのだ。

よーするに、レトリックだけ。
いや、その内実はどうであれ、レトリックこそが「僕たち」には重要なのであって、というのも80年代を通過した者にはわからんでもない。
しかし、ここにあるのは、内実を小器用に隠蔽する、商売人の手捌きでしかない。

ウォン・カーウァイ、どうしちゃったの?いやいや、ウォン・カーウァイ、「恋する惑星」の頃とまぁっったく同じ。「恋する惑星」の頃はまだしも新鮮であったし、フェイ・ウォンはとても可愛かった。
でもよ、今や50の親父が、小娘の恋愛をうじゃうじゃメルヘンチックに描いてんじゃねぇよ。

脚本、ローレンス・ブロックって…、気持ちの悪い親父たちだ。