グランマが卒業した女子高から大学に進学したのは2人
殆どが就職していた時代
グランマも大学進学は視野になく
専門学校の「英文重役秘書課」に入学
1年間だったが入学金や授業料は高かったと記憶している
田舎で小さな和菓子屋を営む両親にとっては大変だったことだろう
なぜ英語を選択したのか?
決して英語が得意だったわけでもないし成績がよかったわけでもない
思い起こせば初めて英語に接した中学1年の時
英語担任の星健彦先生との出会いがあったからかもしれない
アルファベット学習の後の単語が「pen」
先生はペンを片手に一語一語はっきり「This is a pen」と言ったのだ
いまでも彼がpenと言った時の口の形を覚えている
この時の情景が印象的で脳裏に焼き付いた
グランマも発音は褒められた
一語一語はっきり発音する先生を真似たからだと思う
だが 高校になって難しくなり得意な気分がすっかり失せた
にもかかわらず
よりによって英語の学校を選択し
仕事でも英語の環境に飛び込んだ
留学の経験があるわけでもないのに
「This is a pen 」に導かれて…
時が経ち
報道部の上司には もっと上を目指せとよく言われた
欧米は よく実力主義と言われるが 日本以上に学歴社会です
グランマのように専門知識やスキルがないと
書類選考の後のテーブルにのらない
管理職を目指すには大卒の資格が必要だった
そこで
一念発起!
そうだ大学に行こう
思ったら行動に移すのは早いのです
職場から30分で仕事帰りに通える青山学院を選択
早稲田も考えたが1限目に間に合わないので断念
社会人受験は上司の推薦状が必要となる
受からなかった時のことを考えた末 一般受験に挑戦した
英語、国語、小論文
意外だったが、英語が簡単に感じた
国語は現代文はいいとしても古文、漢文には苦戦した
運よく受かって仕事と学生の「二刀流」
貪欲な本性がここでも発揮され
専攻は教育学と心理学のダブルメジャーを目指す
できるだけ多くの科目を受講した
教育実習は栃木の母校の中学校で受け入れてもらった
実家に居候して 朝は姪が車で送ってくれるという厚遇に甘えて3週間
実習生は女子3人だけだった
もちろんグランマは彼女たちの母親と同年齢 いやそれ以上かもしれない
学校も異例(こんな年齢の実習生は開校以来)の受け入れで戸惑い気味だったが
朝は一番乗りで職員室の掃除、お茶の用意、授業後は学生と共に掃除
グランマはいたって真面目なんです
道徳の時間にはグランマの仕事を紹介する時間も設けてくれ
大統領来日時の記者証の話をしたり実際の記者証を見せたり
生徒のうけもよく みんな興味津々 - 楽しそうだったなぁ
指導教諭からもまじめな取り組みが評価されました~
ゼミ、卒論は心理学で書くことにした
テーマは都会と地方で青年期の自己肯定感に違いがあるかを調べた
教育実習校と青学両方の中学校でアンケートをとって意識調査を実施
形だけのつたない卒論だったなぁと思うが、その時は一生懸命
月~金は仕事終わりに駆け込み夕方6時から夜9時過ぎまで
土曜日は朝9時から夜9時まで
家族には申し訳なかったが
楽しくて 楽しくて「生」を感じた4年間
取得単位数は171(通常は124単位)、GPA4.1
欲張りすぎた結果 成績優秀者にはなれなかったが まぁよく頑張ったと思う
一応 中・高英語教諭、図書館司書の資格はとりましたが…
この卒業資格を待って領事部に移動 管理職に就いた
またもや 5年の時が過ぎ グランマ50才才
模索していた大学院へ
日本の大学院は知識集積に重きを置いていると思った
研究者になりたいわけでもない
なので
自他のこころの動きに敏感で感情の波に揺れ動く自分がいることから
心理学を通して自他を客観的にみたり自己洞察を深めたいと考え
卒業後の即戦力を目指すアメリカの臨床心理大学院に行きついた
California School of Professional Psychology(CSPP) – 後にAIU/CSPPとなる
選択した理由として
AIU/CSPP日本校はWASC(米国西部大学・大学院協会)認定校であること
アメリカの大学院の基準に沿ったカリキュラムで学べること
自己成長と心理臨床の実践力がつくのではないかと考えた
Press AttacheとDeputy Visa Chiefがすばらしい推薦状を書いてくれた
申請書、パーソナル・エッセイ、小論文を提出
そして選考試験と面接を経て 2005年9月に入学した
月~金は殆どオンラインでディスカッション、月1回週末は直接講義
夏季集中講座は、1、2年時は東京(8日間)、3年時にはカリフォルニア(2週間)
盛りだくさん! 働きながらできるのか?
しかも卒業要件の1つでもある30時間のセラピー体験では
青山のカウンセリングルームでクライアントとしてカウンセリングを受けた
さらに320時間の臨床心理実習(プラクティカム)では
毎週土曜日心療内科でカウンセラーとしての実践を積んだ
これは その後の人生感や固定概念を変えてくれた貴重な体験だった
修士論文は苦労の連続
テーマは慢性的な摂食障害と心理教育の有効性を扱った
書くことは好きだが所詮日記程度で学術論文など …
些細な言葉選びに捕らわれ全体を見失うといったことの連続
何とか締め切りギリギリで口頭試問までこぎつけ無事終了
最後に臨床コミュニティ心理学の一環として2週間のサンフランシスコ研修で
DVシェルターや障害者施設などの現場を実際にみることができた
この研修で こころに強く大きく残ったことがあった
障害者雇用という概念が一般的ではないアメリカでは
障害を持つ人も能力やスキルを活かして働く場所が提供されていて
社会の一員として収入を得る仕事をしていたこと
ノーマライゼイションを目の当たりにして衝撃を受けた
激動の3年間を終えて学位授与式
アメリカの大学院ならではのキャップとガウンでハットトス
そしてこの年から優れた修士論文にディレクター賞が授与されることになり
グランマが初代受賞者に選ばれるという晴天の霹靂のできごとがあった
人生における転機は何かと考えた時
第一の転機は大使館で仕事を始めたこと
第二の転機は大学院で臨床心理を学び様々なクライアントと向き合ったこと
第三の転機はやはり定年退職だろう
さて、第四の転機は何だろう…まだあるのかしら?