グランマは A 在外公館で約40年勤務した ニコニコ

パソコンなんてない時代からAI出現の時代まで

長かったような短かったような40年間を振り返ってみたい

 

入館は1975年11月17日

時代は為替変動相場になって2年 $1=¥302 

広報文化局が「TRENDS」という日本語の雑誌を発行していて

Publication Office に Office Clerk and Typist として採用された

きっかけは Japan Times の片隅に載った小さな募集

当時働いていた会社の同僚に勧められresumeを出してみたのだ

 

Human Resoucesに呼ばれタイピングの試験と面接に臨んだ

一次試験に通り二次試験はアメリカ人上司との面接

面接自体は短かったものの とてつもなく緊張したのを覚えている

 

というわけで

 

運よく採用へと至ったわけだ

 

インターネットのない時代に

日米間の政治経済から文化芸術にいたるまで

様々な話題が掲載されたTRENDSは米国の情報誌として

日本の大学や政府機関などへ定期的に送付されていた

確か年4回発行だったように記憶している

 

Publication Office での仕事にはタイピングが欠かせない

IBM Correcting Selectric IIタイプライターには修正機能がついていて 口笛

誤字を何度でも訂正することができる

ストレスが軽減され業務の効率化につながった

ほどなくしてSelectric III が支給された

ゴルフボールのようなフォントが文章の途中でも変えられる

そしてワープロからWangコンピューターへと

カット&ペーストが自由にできる技術の躍進に驚いたとともに

日常業務が劇的に改善され時間も短縮された

事務用機器の歴史とも共存してきた感がある

 

1977年、約1年半在籍したPublication Officeを去り

上のポジションを求めてExecutive Officeに移動した

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