穂村弘は歌人である。
私がこの事実を知ったのは、恥ずかしながら彼の短歌を読んだからでもなく、
はたまた日経新聞に連載されていた彼のエッセイを読んだからでもなく、
ただ私の好きな漫画家・吉野朔実の友人だということからであった。
吉野朔実は、かって私達(zuiko部長&riko先輩)が高校生だった頃
少女の心象を切り取ったせつなくなるようなマンガを月刊「ぶ~け」←今無き幻の漫画誌
に掲載しており、その当事から今に至るまで私のお気に入りの作家である。
その吉野朔実がここ数年「本の雑誌」などに本の紹介マンガを描いており、
穂村弘は、そこによく出てくる親しい友人らしかった。
そんな感じの興味だったからなのか、それとも本の名前が気にいったからなのか、
初めて読む彼の本に、私は歌集ではなくこの本を選んだ。
そして読んでみた「世界音痴」は、彼の不思議な歌の世界とあいまって、
とてもせつなく、とても身近で、そして、どこか笑えた。
しかしこれが笑えるのは、多分私が非情なる事に、女だからなのかもしれない。
もし私が男で、そしてこの人と同じくらいロマンティック(と言ってしまっていいのかな)で
そして人を恋うていたなら・・・きっと泣いていたに違いない。
そして涙とともに、いますぐにでも歌詠みになろう、と思ったはずだ。
吉野朔実著「弟の家には本棚が無い」の中で
「短歌はキャラクターと言うか、心の状態が極端ならそれだけでつくれる面があるので。
恋愛中の人とか人殺しとか、短歌書くでしょう?」 と、穂村弘は語っている。
「世界音痴」は、そんな歌人の心の独白であり、ルーツであり、また、恋文だ。
本文のエッセイはとてもいい。
「一秒で、」とか「世界音痴」とか「母」とか「五万五千分の一」とか他にもいっぱい、とてもいいが
私は、中でも「あとがき」のせつなさが秀逸だと思う。
「誰の事も、一番好きな相手の事も、自分自身に比べたら十分の一も好きじゃないのよね、あなたは。」
と彼に向かっていった十年来の恋人。
自分以上に誰かを愛せるのか、自分の夢に以上に大切なものはあるのか、最後に残るものは何か?
人は(すくなくとも私は)、その問いの前に沈黙する。
「今の私は、人間が自分かわいさを極限まで突き詰めるとどうなるか、自分自身を使って人体実験をしているようなものだと思う」
と書く作者は、これからも「まだ見ない恋人」を求めて、世界をさまようのだろうか。
それとも、いつまでも待っているのだろうか。
- 終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて -
そして私は、この歌がとても好きだ。