フィールドワーク3~大友氏館跡庭園と南蛮BVNGO交流館 | いるぴょん たんしむ

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のつづき(最後)ですパー
 
FW3つめは
大友氏館跡庭園と
南蛮BVNGO交流館

戦国大名一広大な館を持っていた

大友氏❗特に21代

大友宗麟(そうりん)

 

1586年島津藩により廃絶されて以来忘れられて

400年以上経ち

普通に家も建ってたこの場所に

眠ってた庭園跡が1998年に発見されて以来

発掘作業は現在も継続中🖐️

館跡復元の為に

250世帯に立ち退いてもらったという

驚きの広い敷地❗

大友宗麟は誰よりも早く

国内より海外に興味持って

南蛮貿易を始めて

戦よりも文化人だった

貴重なアジア各国の陶磁器など遺跡がたくさん発見されてるんだそうです🎉

(他で発見されたら新聞で騒がれるけどここではありすぎてもう話題にならないんだとか)

 
 
少しずつしか進まない
根気がいる発掘のお仕事
歴史はロマンですラブラブ

途中でスマホ充電なくなり💦

撮影出来なかった公開されてる庭園の代わりに

走り書きメモもしているパンフレット載せますが

江戸時代に出来た三大庭園

(金沢兼六園・水戸偕楽園・岡山後楽園)の

ヒントになったのではないかとのことです

戦国時代後期の庭園の発見は貴重なんだそうですよ

2つのテーマを持った庭園だと

しっかり説明伺わないとスルーしてしまいそうだった

遺跡を守るために

発掘された庭園の上に土を持って

この庭園を造ったんだそうビックリマーク

岩は5つだけ本物で後はニセモノなんだって

遺跡の保護はわかるんですが

じゃあその本物はいつ公開されるんですか?と伺うと

私たちが生きてるうちではなさそうでした

100年後とかそんな感じビックリマーク

 

大切な文化財遺跡を後世に伝える

ということでしょうかね
 

交流館では大友宗麟が自信ありげに当時の話をしてくれる映像ありで(役者さん上手い👍)

 

歴史とは権力者に寄って語り継がれてないことも多く

大友宗麟に至っては

戦に負けてから

(息子22代義統で大友氏の歴史は終わり)

長い間のネガティブキャンペーン(笑)

に寄って忘れ去られているそうです笑い泣き

大分県の方にも知られていないことが多いんだそう❗

大友宗麟の本来の功績を広めようと

小学生の教材に入れてて

次の世代に布教してるんだとビックリマーク

 

この6年生への教材が
すごくわかりやすくて良いです
 
大友宗麟のどこがスゴイのか?
 
戦国時代の天下統一思考の中
宗麟は世界に目を向けていた
南蛮(ポルトガル)との貿易を
長崎出島より20年早く始めていたそうです
 
日本で初めて大砲を手に入れた人なんだって
鉄砲にも早くから目をつけていて
信長に売ってたらしいよビックリマーク
 
ヨーロッパにも名前が知れ渡り
当時の地図には
九州=豊後(Bungo)だったと記録されています
こんな古地図大好きラブ
他の大分県の地名も読めないようで読めますね
 
大友館にフランシスコザビエルが来て
キリスト教布教を許し保護したんだそう(21歳の頃)
 
九州を(9州の中の6州)を支配する戦国大名となり(29歳)
南蛮やアジアとの貿易で
巨大な富持つ大金持ちだったそう
だからアジアの陶磁器が遺跡でざっくざっく出てくるんですね
 
戦より文化的な人だったそうで
茶の湯をはじめとする
京の文化を積極的にとりいれた
 
宗麟はキリシタン大名だという印象が強かったけど
実際にキリシタンになったのは
息子に跡を譲った後の48歳だったそうです
洗礼名はドン・フランシスコ
(この名前のお菓子があるよ~)
 
こちらは事前に「大分学」の授業で予習していました
その時に講師の先生が
持ってきてくださっていた
遺跡です
16世紀のアジアの陶磁器が
戦に負けた1586年からずっと土の中にあり
やっと発掘されて出てきて
今こうして私の手の中にある
 
朝鮮陶器椀を手に取って
なんだかウルウルきましたよ
歴史はロマンだチュー
 

 

地道な努力で発掘された遺跡を保護しながら

公開されてる貴重な大分市の財産✨

宗麟誕生500年となる2030年には

館なども復元される予定とのこと😉

それまでも毎年少しずつ進化されてるようなので

歴史に興味ある県外だけじゃなく県内のお友達をぜひ連れて行きたいなって思いました😉

 

大分市出身の旦那に伝えてみたけどやっぱり知らない話が多いみたいです😁

 

南蛮貿易当時をイメージした船が

大分市から別府市に向かう海岸にあるビックリマーク

と伺って

今まで船があるな~って思っていたけど

まさか!?

南蛮貿易船だとはクラッカー

今日は大分に用事あり

帰り道にちょっと立ち寄ってみましたよ

船の近くまで行ってみよう

帆船カピタン号
子供の遊具になってるんですって
 
大友宗麟を
大分(府内)の戦国大名で
キリシタン大名で
南蛮貿易くらいは知ってたけど
もう少し勉強してみて
もっと評価されて有名になってもいいんじゃないかなって思いました
そんな不遇の大名さんは他の地方にもたくさんいるのかもですね
歴史が全て正しいのではないですからね
 
いつの時代も
権力ある人の力に寄って
歴史は変わる
 
フィールドワークで案内してくださった
館長さんが仰ってた
見学に来る学生さんたちに必ず聞いてること
「歴史は好きですか?」
小学生とかは
あんまり好きじゃないという人が多いらしい
学校の勉強だと歴史の年号覚えたり
なんだか難しいですもんね
 
館長さんは
歴史はAはBであるではなくて
解釈です
今の歴史は正しいでも間違いでもない
新しい発見があったら変わるのが歴史です
自分の意見を持つことが大事
歴史・文化財は感じてもらうことが大事
 
そんな風に思って歴史を考えたことがなかったな~
 
フィールドワークのお話はこれでおしまい
 
ここからは余談です
今日も大分学の授業に行って
大分県の「食」がテーマの講義でした
 
大分県中津市出身の
福沢諭吉さん
お札になってる有名なお方は
「学問のすすめ」が有名なのはみんなが知ってる事
 
元祖肉食男子
だったとはベル
西洋の文化を取り入れて
「肉食之説」というのを書いて
ここでカレーを日本で初めて紹介したんだと
 
学問だけじゃなく
肉食まですすめていたなんてビックリマーク
 
大分学って
深い~
 
あとこれも今日聞いた話
NHK朝ドラ花子とアンにも出てた
別府にある白蓮さん住んでた別荘は
もう解体されてしまったけど
跡地に白蓮さんの石碑があるんだと
見に行ってみよう
 
こんな感じで
小ネタいろいろ仕入れてます(笑)