リサイタルのチラシが出来上がりました。
興味のある方は、こちらから10月30日の行事の所をクリックしてください。

何だかロマンチックです。ガラじゃねえだろうと悪妻/悪友良妻/親友の声も
聞こえそうですが・・・

満月好きなんですよねぇ・・・
(新月直前の、触れると切れそうな位スーッと薄いお月さまも好きです)
ガラマンホ-ルの皆さん、本当に素敵なチラシデザイン
ありがとうございます。

ー未だ年端もゆかない頃、近所で評判のウーマクー(悪童・悪戯っ子)
だった私は、余りにも五月蝿かったり、手に余る悪さをシデカして、
よく家の外に放り出されました。

当時、沖縄の実家は、赤瓦葺き平屋造りでした。母屋と離れで、
ジジ・ババ/親子3世帯で暮らしていたのですが、敷地内に井戸もあり
お風呂を古材等の薪を使って、ボイラーで毎日沸かすのが
私に与えられた任務(お手伝い)でした。

2つ歳の離れた弟を、子分にしてずいぶん悪さをしたようです。
(そんな抱腹絶倒昔話は、また次の機会に・・・)

今思い返してみると、そんなに広くはなかったと思うのですが
洗濯物を干す為の木製の”干場”があり、寄り添う様に建つ2件の平屋の上に
掛けられ、10帖くらいの広さがあったでしょうか・・・
今で云う、デッキ/バルコニーに近いものだったと思います。

そこはいつも乾いていて心地よく、板と板の隙間からのぞき見える
階下を、目眩に似たドキドキ/クラクラする様な感覚を覚えながら、
飽きずに覗き込んで、シャツを汚してよく叱られました。

外に放り出された私は、寧ろ喜び勇んで“干場”に揚がり込みました。
私にとっては、雨さえ降っていなければ、快適に過ごせる
”独りの空間”だったのかも知れません。
空想の海賊船の甲板だったり、諜報秘密基地だった訳です。

浴室横に設えられた、真っ暗なボイラー室(薪小屋兼用)も
子供にとっては普段、家内では禁じられている火遊びが出来る
ゾクゾクする様な場所でした。
(やりすぎない事、と云う厳しいルールはありましたが・・)
煤で真っ黒になった私たち幼い兄弟を、爺さんは佳く一緒に
風呂に入れてくれました。

辺りが真っ暗になって、心配した婆さんがすっかり遅く(冷たく)
なってしまった夕食を持って、“干場”まで揚がってくるまで
大声で(オマケに音痴で)歌を歌っているそんなキカナイ子供でした。

そんな日々の中に、子供心に怖い様な暗い・寂しい夜を思いっきり
照らす満月の日も、きっとあったに違いありません。

30年以上経って、今度はトランペットを片手に
故郷「沖縄」で演奏会です。

グループレッスンで訪れた学校等に、当時の自分と同じ様な
”ヤンチャ坊主”=“ウーマクー”を、思わず探してしまうのは、
懐かしい為だけではない様な気がします。

トランペット奏者
具志 優