リサイタルネタ続きます。

有志で立ち上げてくだっさた“実行委員会”ですが
沖縄の中学・高校生時代の後輩がメンバーにいて
とてもよく気の付くヤツで仕事も速く、提案も的確です。

何よりも、今までは考えても見なかった“観客動員の方法”を
考え付いたり、”地元メディアへの後援依頼”など根回しが非常に早く
私が一人でアレコレ考えているよりも、グングン皆を引っ張ってくれて
とても頼もしい限りです。

-初めて出会った、お互い未だチュウボウだった頃を懐かしく思い出します。
目玉のクリクリッとした愛嬌のある顔立ちの、マダマダあどけない
小柄な彼を当時、私も所属していた吹奏楽部へ強引に勧誘→入部さらに2年後
彼が音楽の才能を開花させて、部長まで務めるとは
考えもしていませんでした。
(新入部員獲得が、私に課せられた至上命令だったことを
告白しておきます。)

幸い同級生に実弟がいて、仲良くしていたようなので"親分”と言うよりも
“アニキ”といった所だったでしょうか・・・

高校三年間も同じ地元の高校へ通い、私と彼等の貴重な6年間は全て
吹奏楽の部活動に費やされました。
高校生のときに一般の部でしたが、アンサンブルコンテストで
全国大会まで出場するなど、貴重な経験も一緒にできて先輩・
後輩と言うよりも“大切な仲間”となった私たちには、
かけがえのない大切な時間でした。

高校を先に卒業した私は、更に誇大妄想を膨らませ、あろう事か
“音楽大学受験”を敢行してしまうのですが、
今考えてもムチャクチャですね・・・
まぁ、そんなビックリな私ですが彼とは音楽を通じて
男の付き合いが、続いて現在に至るわけです。
(間にある数々のエピソードは、私の回想録に・・・W)

彼から頂いた宿題が、夏休みの私の課題になりました。
後援依頼書を作製送付するにあたって、資料がいるとの事。
こんな文章を書いて送ってみました。
(長いです。覚悟してください。)

ドイツの(音楽)風物詩

”ドイツ”と言うと皆さんはどういうイメージをお持ちですか?
ビールとソーセージ、刃物と陶磁器、ベンツとフォルクスワーゲン、
オリバー・カーンとミハエル・シューマッハ、
といったところでしょうか?

私の住んでいるベルリンは、面積約900平方キロメートル、
人口約300万人、ちょうど東京都の1.5倍の広さの土地に、
約1/3ほどの人が住んでいることになります。

因みに、沖縄県本島は約1200平方キロメートル、
人口約123万人ですので、それと比較すると、沖縄本島よりも
約三割ほど狭い土地に、約2倍ほどの人が住んでいることになります。

残念ながら、沖縄のような青く美しい海、変化に富んだ海岸線は
見られませんが、緑が豊かで、市内を走る水路で結ばれた
多くの美しい湖があります。

ヨーロッパの中でも特記できる事として、ベルリンには
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする
世界でもトップクラスのオーケストラが多数あり、オペラ劇場3つ、
ミュージカル劇場3つ、放送・映画関連のオーケストラもあり
大変充実しています。

 また市内にベルリン芸術大学、ベルリン音楽大学もあり、
文字どおり世界中から、若い音楽家の卵たちが集まってきます。
私の知る限りにおいては、ウィーンと並ぶ”音楽の都”と
言っても良いでしょう。
                                                               
 ベルリンの夏は、殆どのオーケストラも夏期休暇の時期に
入ってしまうため、9月以降のシーズン中のように、
盛んにはコンサ-トはありません。
 最近ではヤングユーロ・クラシックスという催しがあり、
ヨーロッパの若手音楽家を中心とした
オーケストラ演奏会、室内楽演奏会があるようです。
今年は日本から、ベルリンへ東京藝術大学のオーケストラが
招待されて演奏会を催したようです。

 私にとって夏は、ここ数年精力的に活動しているオルガンとの
ソロ・コンサートをバーデンヴュルテンブルグ州、
ブランデンブルク州にて数回公演することができました。
今年は、主催者側の準備したチケットやプログラムが、
演奏会当日に足りなくなってしまうほどの好評でした。

 今年、12回目を迎えたビヤ・フェスト(ビール祭り)は、
毎年8月の中旬に行われ、年々盛んに行われるようになっており、
会場内に多く設置されたステージではドイツの民謡に始まり、
ブラスバンド、ロック音楽なども盛んに演奏されていました。
今年は、長さ約2.2キロメートルの目抜き通りに、86カ国・300軒・
2、000種類ものビールが出品され、
3日間で来場者数は80万人という大盛況でした。

 また、街中のいたるところで見かける教会では様々な
宗教行事に関連した演奏会があります。
―有名な建物として、戦争の影響で崩壊寸前の形で保存されている、
カイザー・ウィルヘルム教会や、聖マリア教会、
ベルリン正教会(ドーム)、聖ヘドヴィック教会があります。
ミサの中では、日本でもおなじみのバッハやモーツアルト、
ハイドンなどの宗教曲、カンタータ等を一般の方でも
気軽に聞くことができます。
 特に、春の復活祭(イースター)や、クリスマス前のアドヴェント
―12月25、26日のクリスマス当日までの4週間、毎週末ごとにロウソクに
火を一本ずつ灯してクリスマスを迎える準備をする行事―は、
イルミネーションでだんだん美しくなってゆく街の景色とも相まって、
クリスマス市場の設営が始まる頃には、
クリスマスの気分が最高に盛り上がります。

 この期間に催されるコンサートなどは、時にはオーケストラと
合唱団との共演もあり、バッハのクリスマスオラトリオ、
ミサ曲ハ短調などは特に好んで演奏されます。
厳粛な中にも、ドイツ人の大切にしている“家族的で暖かな”
雰囲気があり、小さな子どもからご老人までそれぞれに
楽しむことが出来ます。
 
 私のような音楽家にとっても忙しい時期で、家族との団欒を
演奏会の合間に上手に交えて、忙しいながらも
充実した日々を過ごせる時です。

 ドイツと沖縄の興味深い共通点を挙げるとすれば、
“豚食文化”でしょうか?
例えば、沖縄の“アシティビチ”と似た料理があります。
ドイツ、特にベルリンの名物料理として“アイス・バイン”が
それにあたります。
直訳すると“凍った豚足”となり、これも名物のザウワー・クラウト
(キャベツの酢漬け)と共に温かくして、ゼンフと呼ばれる
洋辛子を添えて供される食事です。
調理して透き通ったゼラチンを“凍った様な”と表現したり、
塩ゆでされる調理方法、豚一頭をほとんど余すところなく
(内蔵や皮などもすべて)食べてしまうことなど、
聞けば聞くほど興味がわきます。
ドイツ人に沖縄料理を紹介すると、向こうも興味津々な
反応を示して

ドイツ人(以下ド)「是非一度、食べさせてくれ!」
ウチナーンチュ(以下ウ)「スシじゃなくて良いの?」
ド「まだ美味いものあるのか?」
ウ「ラフテーといってねぇ・・・」
と説明する間もなく、気付いたら“あっ”というまに
なくなってしまうほどの人気の沖縄食です。

 意外なほど信心深く、頑固で、一度御贔屓になると
裏切らないお人好しなところ、自然と共に、人間のあるがままに
生きるというドイツ人の姿は、なんだか、自分の“亡くなった
祖父の背中を見ているような”錯覚を常々起こしてしまいます。
祖父の生前は叶うことのなかった“ビールを一杯”などとしばらく席を
同じくし,ヨタ話で盛り上がると本当に違う人種なんだろうか、
と疑いたくなることもしばしばです。

 ベルリンは、年間を徹してもかなりの旅行者数があり、
ベルリン映画祭をはじめとして、国際見本市など数々の
国際的にも有名なイベントも多いです。
 
観光に力を入れていることも驚くほど沖縄と似ています。
(重化学工業の斜陽に伴ってではありますが・・・)
インフラの整備などは多くのお金をかけて行なわれており、
市内の自転車専用道路、バリアフリーなど“人に優しい”のも
この国の特徴といえるでしょうか。
ベルリナー(ベルリンっ子)自慢の、美しい自然と新しい
建築物との調和を取ることに常に神経を使います。
 
 これら、ベルリンに欠かせないものの一つとして、
ジャンルを問わない生演奏の音楽が市民一般に広く受け入れられ、
ドイツ各地で催される音楽祭などのコンサートには必ずといっても良いほど
多くの政治家が招待されています。そこで市民へ紹介されると、
立ち上がって恥ずかしそうに会釈されている姿は、
何となく親しみを覚えてしまいます。
演奏する側の私は、ステージの上から彼らの表情を見ることができたときに
「本当に音楽が好きなんだなぁ」と感じたことが多々あります。
ドイツでは、音楽芸術への理解は成熟した社会には必須とされています。

 以下は、よく見受けられるドイツ・ベルリンの紹介文です。
蛇足かと思いますが、ご参考までにどうぞ。

―明治時代の日本は、当時のドイツの政治システムや医療、
教育システムを進んで取り入れた。
政治・文学・クラシック音楽などの分野でも、伊藤博文、森鴎外や滝廉太郎を
始め、若く才能にあふれる多くの日本人が、一時期を過ごした場所でもある。

 歴史的に見ても、第2次世界大戦を経て東西冷戦構造の終結や
ベルリン壁の崩壊、様々な歴史の荒波を受けてきた街といえるだろう。 
 また最近のスロバキアをはじめとする、東欧州圏の国が新しく
加盟することが増えているヨーロッパ共同体(EU)は、
新しい通貨“ユーロ”を使っての効率の良い経済体制をヨーロッパ全体で
本気で試みている事など日々、変わり行くヨーロッパ情勢を肌で感じられ
大変興味深いことである。

 ベルリンは、1990年旧東西ドイツの再統合を果たし、2001年に首
都としての機能を完全にボンからベルリンへ移転し、ヨーロッパ・ドイツの
新しい顔”首都ベルリン”(Haupt Stadt) を目指すことになった。

ーこれに伴い、ベルリン市内のいたるところで再開発が進み、様々な様式、
年代の興味深い建物を見ることができます。
特に、最近話題になった建物のひとつに1950年に一度取り壊された
ベルリン王宮があり、2010年からこれを再建されることが決まったのは
記憶に新しいことです。

 財政難に苦しむという暗い一面も併せ持つベルリン。
人種の坩堝といわれるベルリン。
新しい“首都ベルリン”はこれからもドイツ国内に留まらず、
EU加盟国間での“強いリーダーシップを望まれている街”、
“挑戦し続ける街”といっても過言ではないと思います。

トランペット奏者
具志 優(ドイツ・ベルリン在住)