KAPの演奏会の他にも、先週は何かと忙しい思いをしました。
(これからもご贔屓によろしくお願いいたします。)
ドイツ人が主なメンバーであるMJ(ムジカ・ユベンタ)
さんには、本当にお世話になっています。
実は私こう見えても(どう見えているの?)
2001年ハレ(ザール)/ザクセンアンハルト州で行われた
ヘンデル国際コンクールの入賞者だったりするのです。
ヘンデルってイギリス人?と思った方!
私もそう思っていた頃もあったのですが・・・
実は、ヘンデルさん旧東ドイツ地区にあるハレと
云う街の出身です。
何故その彼がイギリスに渡ったのか、詳しい事は専門書
にお任せするとして、イギリスでは宮廷音楽家として
大成功を納め、かの有名な「王宮の花火」・「水上の音楽」
等は、皆さんにも親しみ深い曲の1つなのではないでしょうか?
そのヘンデル生誕の地ハレで行われている国際音楽コンクール
(現在は財政難で休止中)の入賞者は、コンクールの
運営事務局の手で、「ヘンデル・プライストリガー」/
ヘンデルコンクール入賞者として
様々な演奏の機会を与えられる事があります。
興味深い事にそのコンクールは、古楽器部門と現代の楽器部門があり
審査受験資格の年齢制限が無いのが特徴です。
例えば、
現代部門ードイツ人作曲家の1960年以降作曲の作品を
少なくとも2曲演奏しなければならない
古楽器部門ーA=415で演奏する事
属にバロックピッチとも呼ばれ、現代の調律とは違う事になります。
当時の楽器の構造上、あるいは伝統的な理由で
現代の基準音である、A=440から約半音ほど下がってしまう事に
なる訳ですが、普段耳慣れない特殊な基準音の範囲で
演奏することになリ,大変な熟練を必要とする事です。
(おそらくその為に、年齢制限等の考慮があると思われます)
これらの事は、他の国際コンクールでは余り見られない事で
ヘンデルコンクールの際立った特徴と云えると思います。
その事務局の方と、意気投合しこれまでに
日本ではなかなか演奏する機会に恵まれなかった
主にバロック期の作品などをたくさん演奏する機会を
与えて頂きました。
私の個人的な“プレミア”“お初もの”として、憧れのライプチィヒの
聖トーマス教会(バッハマニア垂涎の的)や,
聖ニコラウス教会(サイケ・オルガニストで有名)での演奏など
普段なかなか経験できない様な、数々のドイツ国内の歴史的に重要な
教会での演奏経験の他に、数々の抱腹絶倒、涙無しでは語れない
エピソード(個人的には冥土の土産集と密かに呼び)があります。
お仕事のお話に戻ります。
そんな彼のもってくる演奏会・依頼を受けて演奏するのはいつも
ある種の緊張感が漂っています。
今回のコンサートも、ストラヴィンスキーとメンデルスゾーンの
2時間を超える大プログラムでした。
ストラヴィンスキー作曲、ミサ曲/詩遍交響曲と
メンデルスゾーン作曲の2台ピアノの為のオーケストラとの協奏曲
で始まったコンサートは間に前出のストラヴィンスキー作品を挟むと
言う形で進行し、プログラムの最後に”トリ”を飾る
メンデルスゾーンの混声合唱曲でした。
限られた練習時間内に、演奏会のレヴェルまで演奏の質を上げる事
不慣れな指揮者(これが一番困りました・・・)との丁々発止・・・
コンサートマイスター、他のオーケストラ団員の皆さんも
人知れず苦労した事でしょう。
アマ(混声合唱団)とプロ(オーケストラ)の接点でもあり
毎回大事にしたい機会の1つでもあります。
ドイツの合唱団は大抵そうなのですが
約半年間程度の時間をかけて、合唱の大曲を練習して
年に数回、豪華に生オーケストラの伴奏で演奏会を開くのを
楽しみにしていらっしゃるようです。
その心意気、取り組みたるや、物凄い熱意です。
「お孫さんと、同じ合唱団で歌えて幸せ」
という方達を始め、「私は娘と、この曲を歌うのは始めてなの」
という方、親子3世代も合唱団員の中にはザラに
いらっしゃっている様です。
普段は、偉そうな職についている様な方々も一音楽愛好家に戻って
家族の心配をしたり、直前の練習で指揮者に叱られて意気消沈の
他のメンバーを気遣ったりと、ホノボのとした中にも
一年に数度の晴れ姿を、立派に努めようと云う熱意にこちらも
思わず感化されずにはいられません。
今は世界中を、演奏旅行などで飛び回っている様な有名なソリストも
「昔、ウチの合唱団とよく演奏したのよねぇ」などと、
当時の様子を伺うたびに、ドイツ/ヨーロッパ音楽界の
懐の深さを痛感する所です。
会場は、ドイツ最古の街「クエトリンブルグ」
於、シュティフト教会でした。
この街についても数々のエピソードがあります。
それはまたの機会に・・・
次も、演奏会は続くよ(怒涛の1週間)III
トランペット奏者
具志 優
(これからもご贔屓によろしくお願いいたします。)
ドイツ人が主なメンバーであるMJ(ムジカ・ユベンタ)
さんには、本当にお世話になっています。
実は私こう見えても(どう見えているの?)
2001年ハレ(ザール)/ザクセンアンハルト州で行われた
ヘンデル国際コンクールの入賞者だったりするのです。
ヘンデルってイギリス人?と思った方!
私もそう思っていた頃もあったのですが・・・
実は、ヘンデルさん旧東ドイツ地区にあるハレと
云う街の出身です。
何故その彼がイギリスに渡ったのか、詳しい事は専門書
にお任せするとして、イギリスでは宮廷音楽家として
大成功を納め、かの有名な「王宮の花火」・「水上の音楽」
等は、皆さんにも親しみ深い曲の1つなのではないでしょうか?
そのヘンデル生誕の地ハレで行われている国際音楽コンクール
(現在は財政難で休止中)の入賞者は、コンクールの
運営事務局の手で、「ヘンデル・プライストリガー」/
ヘンデルコンクール入賞者として
様々な演奏の機会を与えられる事があります。
興味深い事にそのコンクールは、古楽器部門と現代の楽器部門があり
審査受験資格の年齢制限が無いのが特徴です。
例えば、
現代部門ードイツ人作曲家の1960年以降作曲の作品を
少なくとも2曲演奏しなければならない
古楽器部門ーA=415で演奏する事
属にバロックピッチとも呼ばれ、現代の調律とは違う事になります。
当時の楽器の構造上、あるいは伝統的な理由で
現代の基準音である、A=440から約半音ほど下がってしまう事に
なる訳ですが、普段耳慣れない特殊な基準音の範囲で
演奏することになリ,大変な熟練を必要とする事です。
(おそらくその為に、年齢制限等の考慮があると思われます)
これらの事は、他の国際コンクールでは余り見られない事で
ヘンデルコンクールの際立った特徴と云えると思います。
その事務局の方と、意気投合しこれまでに
日本ではなかなか演奏する機会に恵まれなかった
主にバロック期の作品などをたくさん演奏する機会を
与えて頂きました。
私の個人的な“プレミア”“お初もの”として、憧れのライプチィヒの
聖トーマス教会(バッハマニア垂涎の的)や,
聖ニコラウス教会(サイケ・オルガニストで有名)での演奏など
普段なかなか経験できない様な、数々のドイツ国内の歴史的に重要な
教会での演奏経験の他に、数々の抱腹絶倒、涙無しでは語れない
エピソード(個人的には冥土の土産集と密かに呼び)があります。
お仕事のお話に戻ります。
そんな彼のもってくる演奏会・依頼を受けて演奏するのはいつも
ある種の緊張感が漂っています。
今回のコンサートも、ストラヴィンスキーとメンデルスゾーンの
2時間を超える大プログラムでした。
ストラヴィンスキー作曲、ミサ曲/詩遍交響曲と
メンデルスゾーン作曲の2台ピアノの為のオーケストラとの協奏曲
で始まったコンサートは間に前出のストラヴィンスキー作品を挟むと
言う形で進行し、プログラムの最後に”トリ”を飾る
メンデルスゾーンの混声合唱曲でした。
限られた練習時間内に、演奏会のレヴェルまで演奏の質を上げる事
不慣れな指揮者(これが一番困りました・・・)との丁々発止・・・
コンサートマイスター、他のオーケストラ団員の皆さんも
人知れず苦労した事でしょう。
アマ(混声合唱団)とプロ(オーケストラ)の接点でもあり
毎回大事にしたい機会の1つでもあります。
ドイツの合唱団は大抵そうなのですが
約半年間程度の時間をかけて、合唱の大曲を練習して
年に数回、豪華に生オーケストラの伴奏で演奏会を開くのを
楽しみにしていらっしゃるようです。
その心意気、取り組みたるや、物凄い熱意です。
「お孫さんと、同じ合唱団で歌えて幸せ」
という方達を始め、「私は娘と、この曲を歌うのは始めてなの」
という方、親子3世代も合唱団員の中にはザラに
いらっしゃっている様です。
普段は、偉そうな職についている様な方々も一音楽愛好家に戻って
家族の心配をしたり、直前の練習で指揮者に叱られて意気消沈の
他のメンバーを気遣ったりと、ホノボのとした中にも
一年に数度の晴れ姿を、立派に努めようと云う熱意にこちらも
思わず感化されずにはいられません。
今は世界中を、演奏旅行などで飛び回っている様な有名なソリストも
「昔、ウチの合唱団とよく演奏したのよねぇ」などと、
当時の様子を伺うたびに、ドイツ/ヨーロッパ音楽界の
懐の深さを痛感する所です。
会場は、ドイツ最古の街「クエトリンブルグ」
於、シュティフト教会でした。
この街についても数々のエピソードがあります。
それはまたの機会に・・・
次も、演奏会は続くよ(怒涛の1週間)III
トランペット奏者
具志 優