仕事で、ベルリンから1時間強の距離にあるリュベンという町にいる。
市内を縦横に走る水路と緑が眩しい。川下りのボートも盛況のようだ。
演奏会場である教会の中にこもって日中練習するのは、
仕事とはいえ少し恨めしい。

今日の金管陣(ラッパ、トロンボーン)のメンツで、かなり遅い時間
(午後2時30分頃)に昼食。
GP(通しリハーサル)まで後30分しか無い。勤勉なドイツ人だが、
勤勉さ故?に食事の調理にも手を抜かず,思わず時間を
食ってしまう事もある。要注意だ。

ドイツ人(男性2人=50代、20代)、韓国人(女性20代)、
京都人(男性・30代)、ウチナーンチュ(KY男・40代/自分です・・・)
川沿いにテラスのある観光客相手の郷土料理店(食堂)へ。
雰囲気と値段(と、量の多さ)で即決。(笑

「今日は日本では、終戦記念日なんですよね。」

のどかなランチの終盤「コーヒーにしますか?」のタイミングで、
私があまりにも唐突に振ってしまった話題。
メンバーを後でよく考慮すると少し重すぎたか、、、
演奏予定のプログラム、モーツアルト作曲「レクイエム=鎮魂歌曲」
についての雑感のつもりだった。

コンサート直前に、約束していた別のラッパ吹きの”キャンセル”という
あまり有り難くない目にあってしまい、急遽泣きついて来た
指揮者君への救援という立場で参加している為、
どうしても彼を擁護してしまう。
業界人の(何処の国でも、職業音楽家は似たようなもので、口性無い)
お決まりの”批判精神たっぷりのコメント”を並べられると、
つい反抗したくもなる。

無意識に、自分の中にあった”終戦記念日”
ウチナーンチュである自分には6月23日”慰霊の日”がもっと
重いような気もするが,
「そんな日に、レクイエムを演奏するのは悪くない。」
が私の正直な気持ちだ。

縁があって、娘は家内の実家のある広島に生を受けた。
「“原爆の日”に広島現地時間に合わせて、黙祷したい。」
そんな、娘の素直な気持ちに心の成長を見る思いだ。

それらの思いを、皆に判り易く伝えるのは(言葉の壁が無くても)難しい。

あまりにも自分でも気づかない程、無意識に(よく考えずに)
切り出してしまい、「マズかったか?」と
ヒヤリとしたものの、京都弁で、はんなりと「そやったんや」の一言で
その場は救われた思いがしました。W君ありがとう。
「おい、もう時間だよ。遅れちまう、コーヒは無しだ。」と
最年長のバス・トロンボーン奏者の一声で、
急いで再び教会の建物の中へ。
急ぎ足で駆け込むとヒンヤリとしていて心地よい。

個人的にも、その日演奏される予定の曲目オペラ「魔笛」2幕
(抜粋バージョン)と「レクイエム」は、1日という限られた時間では、
十分な準備が難しいと思う気持ちに変わりはない。
しかも、オペラはダイジェスト版とはいえ演技も付き、演出もあって
タイミングも一歩間違うと”フリーズ”必至である。
事実公演中は何度もヒヤリとした。
なんとか最後まで幾つかの波を無事に乗り切る事が出来たのは、
コン・ミスの集中力、要所にいる古参の先輩方のサポートの
賜物でしょう。

オケと歌手達が力を合わせてこそ、オペラの登場人物は始めて命を吹き込まれ
生き生きと動き出す。
過去300年間、何度と無く繰り返されたドラマを再現して行く。

終演間近、スタンディング・オベーションで出演者全員挨拶している最中、
合唱指揮者の「レクイエムの,怒りの日
(そういうタイトルがついている箇所)を、アンコールとしてもう一度
演奏してください。」の声に、
「レクイエム=鎮魂歌曲でアンコールはネェだろう・・・。」と
東ドイツ訛りで、隣の若いラッパ吹き・ドイツ人男性20代(前出)が
ふと本音を漏らす・・・。

“人生でおこることは全て起るべくして起っている。”

一日(移動、リハーサル、食事)行動を共にしたひと一人一人にも何かしら
伝わっていることを信じて。
いつの日か「あの時は、こんな事があったよね。」と
明るく語らう事の出来る日が来る事を信じて。

“戦争”と言う行為によって、失われるあまりの多くの命を、
失われてしまう文化を、しっかりと次世代へ伝え続けて行ける
自分である事を祈って。

具志 優