私も
その大昔に、こんな光景、母とあったかなぁー?
と、
思いながら、、、
(お写真はネットからお借りしました)



私は和歌山県出身
実家は何でも置いている【洋品店】だった。

父が大阪に仕入れに行く時には
いつもついて行っていた記憶が
ホントに昨日のことのようだ。

母と3人で行った事もあったと思う、、、

そんな母と暮らしたのは
たった18年!
子供の時だから、長い18年だった
が、今から思うと
あっという間の18年  

大阪で、学校に行きたくて、
父には大学に行かないと!と言われながら、それを押し切って、ファッションの専門学校へ。

あの時、兄が運転する車で、わずかな荷物だけを積んで大阪へ。

姉は短大を卒業し、
大阪で働く事に、、、
そして、一緒に住む事になった。
当時お取引先さんだった会社の部長さんだったか?のご近所のアパート暮らし。

両親はきっと私たちの事
すごく心配だったのだと思う。
だから住むところは環境の良い大阪の豊中市
だった。


私のやりたい事だったので送り出してくれた事に今頃、感謝の気持ちで一杯になる。


そんな母は、高齢で、入院していた。
一昨年の12月、自宅で転倒し
1回目の手術

手術から回復し、施設に入る事に、、
そして、そこで又、転倒
2回目の手術

その度に、
もう【えー!!】
お別れかな、、、
と、何回思ったか、、

そして、今年3月
今度はお腹が痛い、、
と又、手術
その時はもう、、、

だったけど手術は成功。

コロナ禍でお見舞いに行っても会えないので、、やっと先月に
姉とお見舞いに行くことができた。

せっかく行ったのに、母は寝ていた。

そして、
義姉から今日、連絡が、、、【ドキッ】
今回はなに?
と、思ったら
【退院する事になった】
との事、、、

奇跡ですよー!!、ね。
逆の意味でビックリ‼️した。

母の【生きたい】という強い気持ちがそうさせているのか?

母は【強かった】のか?

そんな事を、考えた今日、、、

父が亡くなってもう40年近い
あの時、母は50代
若い時に旦那さんを亡くして、
どんな気持ちだったのだろう?
私も若かったから、
人の気持ちを考えれる余裕はなかった、、、

母はそれからもちろん再婚する事なく、
兄の家族とずっと一緒に暮らしていた。
義姉には感謝しても仕切れない。
ほんとうにありがとう!

孫も立派に成長して、ひ孫も出来て
ある意味
幸せ
だったのかもしれない。

改めて母の【強さ】
を、感じた1日

来月の【母の日】の事をふと考えていた
一昨日

いつどうなるか?わからないけれど、
まだまだ強く、逞しく
生きていてほしい、
と願う、、、、