鬱陶しい雨の1週間の始まりです〜。



今回のこのメルマガ、

本当に人事、とは思えないですね。

全世界共通の事ではないでしょうか?


私の母もかなりの高齢です。

よく考えたら、私と母との生活はたった18年、高校卒業まででした。

早くに他界した父とも結局は同じく18年。


母が入院していた病院は最初にニュースになった和歌山県の有田病院に

入院していました。

が、母は強し!!!

感染もせず(有り難い)、施設に移動したかな?

と思いきや、又、転んで入院。



そして、又、施設に今は戻っているそうです。

逢いに行きたくても、このコロナで面会出来ないとの事で、

実家に帰っても逢いには行けないので、帰省していない

のです。


義姉にはいつも父の時もご苦労をかけていますが、一切、

イヤミなど、私の姉、私にも、言った事がなく、

なんと有り難い、義姉!!と、感謝しかありません。


義姉の方が、姉や私より両親と長く暮らしてくれている。

もうなんとお礼を言っていいやら、わかりません。


彼女は兄のところに嫁いで来てくれてから、

ずっと同居してくれています。

御先祖様に感謝です。




そんな事を考えながら、

以下の記事、拝読させて頂きました.............................



ミラノにいる

友達の【レオン】






 

 

 

 

 

 

 

 ★★  6月最後の日曜日  ★★


それは先週の日曜日、6月28日午前中のことです。
トラム14番に乗って、終点の「マッジョーレ墓地 Cimitero Maggiore」に向かいました。
14番はドウオーモを通る長い路線なので頻繁に利用しますが、その終点のこの墓地まで
行くのは今回が初めてです。
「マッジョーレ墓地」は、1895年に開設されたミラノ最大規模の市立墓地で、総面積は
678.624 平米にのぼる文字通り「最大の墓地」です。

この墓地内礼拝堂で、11時から、友人のお母さまの特別ミサが行われました。
友人のお母さまは、4月下旬、ミラノ市内の高齢者施設でコロナ・ヴィルスに感染して
他界しました。87歳でした。

当時は、「ロックダウン」中でお葬式も何もできない時期でしたので、2ケ月たった今日、
友人は親類や親しい友人などを招いてこのミサを準備したのでした。

「ソーシャル・ディスタンス」の観点からどんなことになるのかと礼拝堂に入ると、
教会によくある長いベンチ型の座席には「座っていい席」に表示シールが貼ってありました。

司祭が故人のプロフィールを紹介してくれましたが、友人からも時折聞いている内容と合わせ、
この機会にお母さまの人生を振り返ってみました。

お母さまは、プーリア州出身で20歳の時にミラノへ。
その後、同じくプーリア出身で8歳上のご主人と結婚。二人の女の子に恵まれました。
その長女が私の友人です。

お母さまにとって大きな試練は、明朗活発だった次女が23歳の時、勤務先旅行会社の仕事で
南米出張の際、飛行機が墜落して死亡されたこと。

友人は、35歳の時、シングルマザーとして子供を産むかどうか迷った際、「母が『一緒に育て
ましょう』」と背中をおしてくれたから前に進めたと、以前私に語ってくれました。
実際、同じマンションの別棟に住むお母さまが家事・育児を一手に引き受け、地方公務員として
働く彼女を支えてくれました。
その時生まれた長男もすくすく育ち、もう大学4年生です。

その後、お父様が体調を崩し、長期にわたって自宅で介護をされたこと。

気丈で、一族の「大黒柱」的存在だったなお母さまも4-5年前から弱られ、次第に
アルツハイマー症候がでてきたこと。
当初は「バダンテ」と呼ばれる介護ヘルパーを泊まり込みで雇ってお母さまの面倒を
みてもらっていたものの、とても家でみるのは難しくなったこと。

紆余曲折の末、2年前にミラノ市内の高齢者施設に入居。幸い新しい環境になじみ、
入居者やスタッフともいい関係をつくり、穏やかな毎日を暮らしていたこと、、。
仕事帰り、毎日のように施設に立ち寄って様子を見まもっていた友人も、
「母親に笑顔が戻ってきた。これでやっと落ち着いた生活をおくってもらえる」とほっとした
様子でした。

そこにきて、今回のコロナ・ヴィルスの流行です。
「ロックダウン」中は、他の高齢者施設同様、面会もかなわない状況が続きました。

ミラノをはじめ、イタリア各地で高齢者介護施設入居高齢者の集団感染がニュースと
なりはじめました。そしてまったくあっという間に、友人のお母さまもその犠牲者の一人に
なってしまったのです。

23歳で夭折した妹さんの55歳のお誕生日も近いので、この日にお母さまと、
お父様、そして妹さんの記念ミサを実施することにしたのといっていました。
ミサの後、お墓にお参りをしました。

その晩のことです。
午後8時から、マッタレッラ大統領の参列のもとベルガモ市営記念墓地で行われた、
コロナ・ヴィルス犠牲者を悼む記念行事が、RAIで実況中継されました。
ベルガモ出身のドニゼッティ作レクエイムが演奏されました。

今回のコロナ被害、ロンバルディア州の中でもベルガモ県は最悪の被害を記録しました。
ベルガモ県内の犠牲者が約6000名、そのうちベルガモ市内が約600名に上っています。
6000名の犠牲者の方々、それぞれに大切なパーソナルヒストリーがあったと思うと
その重みに、言葉もありません。

いろんなことを考えさせられた、6月最後の日曜日となりました。

                           (編集部)