おはようございます

昨日はたくさんのコメントや良いねありがとうございます。泣けて来ました。皆んなが助けてくれることに感謝して、ずっと嬉し泣きしてました。


感情の激しいまっすーかもしれません


私は生まれて来て良かったのかな

生まれてこなければ

なんて考えてました


毒親のもとに生まれて、2歳から受けたこころの虐待、3歳になると母の愚痴のはけ口にされ、

私は両親から受けられるはずの愛情をかけてもらえなかった、なんでも我慢耐える事を余儀なくして育った。

誰も助けてくれる人、相談できる人も、知恵もなかった


大きくなるに従って、理不尽な事が、私をどれだけ苦しめてたかを分かる様になると、人間不信になった、でも学校ではおとなしく真面目な子というレッテルを貼られてたにもかかわらず、図書館や家では自死の本を読みまくってた


高校進路決定日、私は初めて自分の意思を告げた

先生方も親も私が進学校に行く事を確信してた、しかし私は1日でも早く独立できる、手に職を持てる学科のある学校を選んだ。噂はあっという間に広がり、知らない先生からもお前は馬鹿だと言われた。誰も真面目な私がなぜ最終日に進路変更したのかを尋ねる人はいなかった。ますます大人が嫌になって行った


高校生活は自分との戦いだった。レベルが違いすぎて戸惑うことも、でも自分で決めたこと、独立するためだけに勉強した、大学にも行けるよと高校の先生にも言われたが、女は勉強するなという頭の父と、下に3人もいるのにお金は出さないという母(後にあの時はお金沢山あったのよねと言われた)


独立するのだから、就職進学、寮ある所を受験した。やっと独立したのだ。


働き始めると、母から言われてお金を貸して欲しいと度々電話がかかってくる、よせば良いのに貸してしまった。一円も帰ってこないどころか、妹から借りた借金の返済に充てられたことにたまたま気がついて、お金を貸す事をやめた!怒りでしかなかった。私は子供の頃から、毒親に理不尽な扱いをされてたことに、やっと怒りを覚えて、

今まで死にたいほど我慢して来た事を母に告げたら、拒否されて、ああ終わりだな!毒親に絶縁状を突きつけた。


主人とは、私が自死を考えて自分を見失ってた時に出会った、でも1人で抱え込まなくて大丈夫だよと今のままのまっすーで良いんだよ、僕が守るからという言葉に初めてこころが楽になった。もう我慢することも、理不尽なことに耐えなくて良いんだと


結婚生活はいろいろあった

楽しい事も辛い事も沢山あったよ


子育てが終わる頃

私は次々に体調を崩して行った

無理が祟ったのだと思った


それでも誤魔化し誤魔化し

通信制大学に入学卒業した

市民農園も借りて孫たちと楽しんだ


でも限界は近づいて

ドクターストップ

でもまだ働けると働いた

長くは続かなかった


喘息やうつが悪化して

働けなくなった


度重なる入院生活

日常生活もできなくなって行った


主人はわたしが体調悪くなる前に、ずーと飲食店の店長をしてたのに、ある日仕事辞める。アルバイトするからと月7万円のアルバイトへ、マンションのローン後何十年あると思うの?私は絶望して働かざるを得なかったのもある。いまだに続けてるけど、アルバイトだからまっすーの介護ができるんだという、何か違う


精神科病院に2回入院

喘息は数えきれないほど、このままだと寝たきりになるぞと言わら続けてた

鬱も悪化希死念慮から未遂すること数回

気管支軟化症も見つかり

鬱の薬の副作用から遅発性ジスキネジアまで発症


今年はそれに加えていくつもの小さな不調が重なり、食事もできなくなって行った。


免疫力、体力の激減

薬漬けの日々

動けない体


私はどこまで、いつまで

耐える生活をしなければならないのかを

ベットで天井を見ながら

鬱々と頭の中で考えてしまう日々


号泣する日も増えて来た

抑えられない感情

壊れてく心身


主人よ

心配してくれたり

主夫してくれたりするのは

感謝するけど

あなたも見守るのに気を使ってるのは分かるけど

ストレスも溜まるよね


でもね

私もっと、もっと頑張って耐えてるの

自分の気持ちをそっと胸にしまって

労ってくれないかな?

頑張ってるね

一緒に頑張ろうね

そういう気持ちなんだね

と受け止めなくれないかな


私の心

崩壊寸前だよ

分かって欲しい


もう理不尽な思いは懲り懲りだよ

守って欲しいだけだよ


いつか少しずつ

私のこころ

話していくね

受け止めてくれるかな


そんな事を

考えてたのです