こんにちは
夕べは1時間半しか寝られなかったのですが
朝食後1時間半寝ました。
朝から昨夜寝る前にかかって来た17歳の孫娘からの相談に主人も怒りMAX、2人して寝られず朝仮眠をとった次第です。
主人は私が過去を想い出して、鬱再熱したことは知りません。二つも悩みを抱えたら、辛いですからね。朝孫には少し距離をおこうということで、心落ち着かせ仕事行きました。
私が45歳頃から精神科にお世話になってます。今61歳ですからもう何年でしょう
カウンセリングを受けてれば医者とのつながりももう少し近づくと思ったのですが、医者はカウンセラーのレポートを全く読んでなくて、薬だけ出すクリニックもありました。クリニックに通ってても私の本心はなかなか伝わらず、私が人間不信で伝え方が悪かったのかもしれません。唯一1人だけ会う先生の処方は、私にとって希死念慮も和らげましたしかし転勤になって会えなくなり、
転院したのです。
喘息が悪化してから、同じ病院へ転院しました。その方が都合も良かったし、話を聞いてくれて、本音が言えたんです。いつでも辛くなったら予約外で来ていいからねと。毒親からの辛い仕打ちも初めて話せました。心が軽くなりました。
でもやっぱり鬱は病気です。薬を飲みながらも希死念慮は常に付き纏い、ある日実行しました、救急車で救急外来を受診し次の日から紹介先の病院に入院し療養しました。リハビリにも参加して軽快したところで退院して、しばらくは平和な日々を送りました。
50歳を過ぎてから、喘息がまた出て来て、一年に一回くらい入院するようになって行きました。段々と無理が効かない年齢になって来たんです
ね。その頃はかかりつけ医のクリニック呼吸器内科クリニックに通ってました、とても信頼できる先生でした。でも喘息を甘く見てた私、仕事行く前に点滴受けて、仕事へ行きました、できるだけ無理のないような仕事をしながら過ごしてたら、帰り際ハプニングがあって、気がつけば自分が息できないことに気がつき、慌てて早退、赤信号待ちでかかりつけ医に電話して、頭朦朧としながら、出さない声を一生懸命に出して、先生今息できなくて向かってますと伝え、過呼吸にならないように呼吸に注意しながら何とか辿り着き、すぐに救急車を呼ばれました。車運転して仕事もしたのかと、朝点滴もしたのに、初めての中発作の重積です。
車は次の日主人が取りに行きました。そこで先生から喘息発作起こして点滴してるのに仕事させたらダメだ!!と強いお叱りを受けたようで、主人は、今でもその先生が苦手です。
2回目の救急車
1回目に運ばれた病院はとても信じららないところでしたから、2度目は先生に頼んで今の病院に搬送してもらいました。
何人か転勤で主治医も変わりました。
喘息が典型的でない気がするからMRIの検査を受けて、気管支軟化症も診断され専門の大学病院に紹介されました。検査の結果、気管支軟化症、気管支が息を吐く時に萎んでしまい上手く吐けない状態、しかも範囲が広く気管から細い気管支の一部まで、仕事は辞めてくださいと言わられ、NPPV療法バイパツプをするように指導されました、喘息のコントロールとそれ以外治療法は今の所ないと。
突然仕事も失い
うつ病も悪化
喘息のコントロールもできてなくて
大変な一年でした
それでも二、三年は良かったまだ外出も出来てたし、生活に不自由はそれほどなかった。呼吸機を使い始めたので医療費が一気に上がったことかな
また長くなってしまった
今度は去年からの不調を
振り返ってみたいと思います
長いお付き合いありがとうございます
感謝してます
ではまた