「悟り」に近づく。「三毒」と「因果応報」 | $マーケット¥は語る!          心理と経済の関係学

「悟り」に近づく。「三毒」と「因果応報」

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みなさま、こんばんは…

 

仏教で説く釈迦の悟りの一つに、「三毒」というのがあり、「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の3つの毒を言う。

 

「貪」…「とん」とは、餓鬼のように「欲をむさぼる事」を言い、「瞋」…「じん」とは、「欲がかなえられないと発する怒り」を言い、・「癡」…「ち」とは、「なぜ人は欲を持ち、それがかなえられないと怒りで我を苦しめるのか、その理由を知らない無知」を言う。

 

人間の「貪」から生ずる「煩悩(ぼんのう)」を浄化し、三毒を明らかにするための修行をすることで仏陀の言う「ある段階の悟り」を得ることができる。

 

ある段階とは、悟りにも52階のレベルがあって、「三毒」の悟りとは、遥か上位の悟りである。

 

52階の悟りのレベルすべてに到達できた仏を仏陀と言い、実在する歴史上の人間でその域に達したものは釈迦(ゴータマ=シッダールタ・釈尊とか、いろいろな呼び方がありますが…)ただ1人であります。

 

宇宙の中心神である「大日如来」の悟りの域がこの52階最高位の域でありますので、「悟り」という点では、仏陀も同様の知恵を持つものであり、仏陀の悟りを知ることが「大日如来」の知恵、果ては、この宇宙の中心真理を知ることにもつながります。

 

では、今回話題としている「三毒」の悟りとは一体どういうものなのでしょう。

 

人間の煩悩から発する欲という「貪(とん)」を得るために、誰かを貶めたり、良くない企てを図ることで誰かに迷惑をかけるという「業(ごう)」を作り出す。欲を満たすための「貪(とん)」に取りつかれた人間は、その欲がなかなかかなえられないことに業を煮やし、次に「瞋(じん)」にとらわれ、怒りで我を忘れてさらに「業」を深くする。

 

場合によっては、「瞋(じん)」という「怒り」から他人を殺めてまで己が「貪(とん)」を満たそうというするものまで現れる。

 

その結果、そういう業を作り出したものは、その報いを受けることになり、その罪を償わなければならない日々がやってくる。

 

でももし、「貪(とん)」という煩悩を持たず、「瞋(じん)」という「怒り」にかまけて因業をなさなければ、悪事の罪を償うようなことをしなくてもよいという「知恵」が初めからあるのであれば、罪業の報いの苦しみに見舞われることもまた無いのである。

 

人生は四苦八苦の苦しみをこうやって日々作り出しているのがこの貪瞋痴(とんじんち)の三毒という煩悩なのであり、貪瞋痴を成さない知恵を知ることができれば、すなわち、「三業の悟り」を得ることができれば、人間は業の苦しみから解放されるのである。

 

貪瞋痴による因業が苦しみの応報を生み出すことを悟り、貪瞋痴の三毒から離れる知恵を探そう!

 

相場でも同様。むさぼりは負けを招く。では、また次回!