お釈迦様=仏陀=宇宙最高の覚者の知恵がなぜ「悟り」と言われるのか? | $マーケット¥は語る!          心理と経済の関係学

お釈迦様=仏陀=宇宙最高の覚者の知恵がなぜ「悟り」と言われるのか?

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みなさま、こんばんは…

 

「悟り」とは、どういう意味かと言うと、ごく当たり前には、「知識を得る」または、「知る」ということです。

 

一般に、「悟り、悟る」というのは、何か大それたことを知って、全知全能になるというような深淵なレベルの話と考える方がいらっしゃいますが、実はそういう深淵なものでもなく、単に「知識を得る」、「知る」という意味にほかなりません。

 

仏教の始祖とされている「お釈迦様=仏陀」の教えの根本としてあるのが、「因果律」という教えなんですが、「因果応報」とも呼ばれますね、この世界、宇宙というのは「因果律、因果の法則」によって支配されており、いかなる出来事にも「原因」があり、その原因により、それに準じた「結果」がもたらされ、また、さらには、「原因」に応じた「報い」というものがある。

 

「原因」と「結果」という単純な帰結だけではなく、それにプラスされて、「報い」というのがあるのです。

 

例えば、「殺人」という罪を犯す(「原因」)と、「死刑」という「結果」がもたらされることがありますね。「殺人犯」に対する「死刑」という「結果」だけで終わればまだいいのですが、実は、「死刑」という「結果」以外に、もろもろの「報い」というものも生じます。

 

殺人を犯した人がまだ罪を犯す前、何かの縁があって、その殺人を犯した人の家族になった人がいたとします。その縁というのがまた奇異であって、殺人をやがて犯すような人と縁ができたということは、そういう縁を得るための原因をまた、その人もどこかで作っていたことになる。

 

殺人で死刑になった人の家族として、殺人犯として「死刑」を宣告された「苦しみ」をその家族も受けなくてはならない、ということがあったとすると、その家族の苦しみは、一つの「報い」ということができます。直接「殺人」を犯していないのに、その家族というだけで、また別の「苦しみ」を得なくてはならない。

 

死刑宣告された殺人犯は、刑が執行されるまで、「死刑」を恐れる日々を苦しみ悶えながら待たなくてはなりません。「罪」の意識に「良心の呵責」といった「苦しみ」も得なくてはなりません。それは、「死刑」という実際の処刑の苦痛よりも何倍も大きな「苦しみ」に違いないでしょう。これも、恐ろしい「報い」の一つです。

 

「原因」⇒「結果」だけでなく、+「報い」というのが本当のところです。だから、一言で言えば、「因果」ではなく、「因果応報」。

 

これも簡単に言えば、一つの知識に違いないのですが、この『「原因」⇒「結果」+「報い」』=「因果応報」という知識こそ、「お釈迦様」、「仏陀」が「悟った」、最大の「悟り=知識」の一つなのですね。

 

「悟り」とは、こういうことです。仏教上でいう「悟り」とは、「宇宙の正しい法則を知る」ということです。

 

では、ある「原因」があって、「結果」がある場合、その「原因」に応じた「結果」や「報い」が生きているうちにすべて実現されるかと言えばそうではありません。

 

「殺人」ばかり例に出して少し気持ちが悪いですが、わかりやすいのでそうしますが、「殺人」を犯した人すべてが捕まって、それに応じた刑が執行されるとは限ません。「原因」を作っておきながら、それに対する「結果」+「報い」をうけずに、「殺人」を犯しながら逃げおおせて天寿を全うすることだってあるはずです。

 

そこでどうなるかというと、一度亡くなった後、また一度今生に生まれ変わって前世での「殺人」に対する「結果」+「報い」を受けなくてはならないという理屈になります。

 

ここでいう理屈とは、「原因⇒結果+報い」という、「因果応報」の法則が前提となっています。

 

なら、「因果応報」というのが、間違ったもので、「宇宙の法則」でも何でもない単なるこじつけであるとすると、一度死んだ者が罪を償うためにまた生まれ変わらなくてはならないなどという理屈は単なる屁理屈ということになり、当然、「生まれ変わる」などということはありえないとなります。

 

しかし、「因果応報」が本物、本当の宇宙の法則であれば、『生まれ変わって「結果+報い」を受け取る』ということも、本物本当の宇宙の法則であると言わねばなりませんね。

 

それをお釈迦様、仏陀は「輪廻転生(りんねてんしょう)」という「悟り」で説明できるとされました。

 

まとめると、「因果応報」が正しいとすると、「輪廻転生」もまた正しい。となります。

 

仏教の根幹をなすこの2つの法則=教えこそが、宇宙最高の覚者であられたお釈迦様(仏陀)の「最高の悟り」ということなのですが、では、その「因果応報」・「輪廻転生」が本物なのかどうなのかが最大の争点なりそうですね。

 

みなさんは、この「因果応報」という「悟り」が本物か?、偽物か?

 

これを機会にぜひ考えていただきたいものです。

 

また、トレードについても、様々な「悟り」がそれぞれあると思いますが、その「悟り」を、安心して一生を過ごせる資産形成に生かしてゆきたいものですね!