今振り返れば、落ち度だらけで愚かだと思う。反省の念を込めて書きます。
自立が進み、子の身体に触れる機会が減った夜の時間。夜寝る前の歯磨きで、ようやく気付いた。
熱い。
測ると39℃。その日は水分を取らせるだけで、すぐ寝かせた。
翌朝、インフルとコロナは陰性、風邪かなとの診断を受けて病児保育へ。
これまでだと、その日のうちに解熱していた。しかし今回は翌日以降も続いた。
寝ている時は熱せん妄でうなされ、その度に親も起きて対応。寝ずに待機すべきだった。
せん妄状態の我が子は、まるで別人。その目が大きく見開いていることが分かる。あり得ない幻覚を、ハッキリと話し、怯えたり、泣き叫んだり。
初日と2日目は30分や1時間が数回。対応する親も疲れたが、まだ平気だった。
日中は起きている時も怯えがひどく、手足に力が入らない。支えがないと歩けないし、しがみついてくる。ここでもまるで人が変わったようだった。その様子が、私は恐ろしかった。
しかし公私ともに、そして心身ともに、可能な限り日常を維持すべく、翌日も病児保育へ。
そこで思わぬ誤算が。普段はしない昼寝を3時間。その夜はきっかり3時間寝ず、ひどいせん妄。
ここまでひどいのは、初めての経験だった。連日続いていたのもあり、夜明け前、両親ともにダウンし、親子3人で寝落ち。
夜が明け、その間にせん妄状態の娘が一人だけ起き出し、なんと家中を好き放題まわっていたようだった。数日後、その奇行の痕跡が発見され、両親が知ることとなった。本人に聞くと、ごくわずかに記憶の断片があった。夢か現実か、分からなくなっていたという。今思うと、とてつもなく恐ろしい。家を出たり道路に飛び出したりするケースもあると、後から知って青ざめる。
奇行に気付かぬ翌朝は、3時間寝ず、時折せん妄状態になるのを、あの昼寝のせいだと思ったが、なぜか「日常を崩してはならない」との思いを優先してしまい、懲りもせず病児保育へ。今思えば、両親ともに寝不足で心身衰弱した中、精神的にも余裕が無く、私一人での自宅療養が怖かったのだと思う。無責任な親とも思えるが、この期に及んでも未だ快方に向かっていると思い込んでいたのだった。
「夜寝なくて困る」は良くある主張なのか、「病んでる人に休養を与えるのが病児保育」と固執した返答に、【頼れない】と察した私は、ここでようやくキャンセルし自宅療養を決意するかに思えた。
しかし「いやいやいや」と引き止められ、病児保育に世話になるつもりの準備しかしていない私は、疲れと怒りに似たものを感じながらも、我が子を預けた。
発熱し呆然とする愛娘を置き去りにした罪悪感が膨らむ。しかし決断をひるがえすのは違う、預けた以上は施設側のことも娘の事も、信じるしかないと思い、職場から施設へ電話。
今朝のバタつきへの詫びと、せん妄・錯乱状態の夜の様子を伝え、改めて昼寝を控えるのに協力をお願い。
その日は昼寝を30分にとどめてくれ、夜は自宅で爆睡、両親も休息できた。
快方に向かうも、新たな不安は拭えず、経過観察は続く。
----備忘録----
【せん妄】1〜4歳や10代前半に多く、20歳くらいまでは注意が必要。
危険な事故を防ぐため、この期間は部屋の施錠、1階での就寝、大人の付き添い見守りが必須。
----
自分でも恐ろしいのだが、私はこういったことを忘れてしまう。本当に母親をやっていていいのか、不安になる。夫も抜けたところがあるが、夫無しではここまで無事には来れなかったと感じている。
同年代の子を持つママ友と、時々話す機会がありがたい。
気が短く、アスペでコミュ症な私は、瞬間的に縁を切りたくなる癖がある。それも、気を付けねば。
せん妄の話に戻るが、今回の「大事件」は、私を含む両親の「育児慣れ」という慢心が招いた悲劇だと思う。
「熱出した子どもはうなされるもんやろ」今回の発熱2日目までは、そう言いきっていた。
1日で下がる熱しか対応したことがないくせに、「育児慣れ」って何なのよ。オオバカモノ。
今後の対策として考えたのは以下の通り。
・発熱は数日続くものする
・日常を諦める
私は欠勤し、寝ずの夜間保守
・病児保育での信頼関係構築
「昼に寝ると夜寝ない」理解協力要請
・可能なら私は昼に休息を取る
・夫は通常勤務し、可能なら定時上がり
「共倒れをしない」
【施錠】【一階での就寝】に加えて、上記の点も行うこととする。都度、夫婦の役割が逆転することも有り。
これから先、我が子が大きくなり、私が年老いて非力になった時、せん妄状態の子を制止することが難しくなった場合も、夫婦の役割を入れ換えよう。それは案外、近い将来であるような気がしている。