コロナで禁止されていた、職場での食事中の会話が徐々に解禁されてきた。
「子どものイヤイヤがひどい」とエピソードを話したら、あれ不思議、他人に話すと笑い事のように思えてきた。
「ジテンシャ乗るぅ」→テクテクと駐輪場に行く→「ジテンシャ乗らなぁい」→ほな、もと来た道を引き返そうか→「ジテンシャ乗るぅ」の繰り返しで、振り回されっぱなし、そのうちギャン泣き。
もうアホくさくて、ギャン泣き中のひくつく隙に耳元で「悲しいネェ」と少し小馬鹿にした言い方をしてわろとりますねん、と話したら、「そうそう、『あらあら、泣いとるわぁ』って気分になるのよね、どんだけギャン泣いてても、ただただ可愛いの」と二児ママ。それだ!こりゃ良いわ、気楽に育児を楽しめる。
うるさいけど、疲れるけど、ギャン泣きも陣痛のように間欠期がある。腹立つけど、泣くだけの活力はあると、頭の片隅においておきたい。
この肝っ玉かあちゃんも、一人目の子の時はどうしていいか分からず、ウツウツしていたとな。
ギャン泣きされまくり続けて、いやになって、頭にきて、般若みたいな顔になる時もある。我が子の視界から外れて般若する時もある。でも、般若、ダメ、絶対。
小馬鹿にしていようとも、おひさまのような微笑みで「泣けてきちゃうの?」「涙出ちゃうの?」「悲しくなっちゃった?」が良い。「おかん、聖母やわぁ」と思わしたれ。おかんは心ん中で『よう泣いとるわい(笑)』と笑っておけば良い。
青い涙のコキンちゃんだって、大泣きしてても心のなかでは大笑いだって、やなせたかしさんも描いてる。嘘泣きも嘘笑いも、相手にはそれが全て。