不登校は「悪」ではない。発達障害の子どもたちの生きづらさに寄り添う社会へ | ⭐️まあちゃん家族⭐️

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うちの子どもは元気いっぱい陽気な、自閉症スペクトラムきょうだい❣️
息子 小3 / 娘 小4 / パパ / まあ(私)よろしくお願いします‍♀️

発達障害・自閉症スペクトラムの子どもを育てるということ

発達障害や自閉症スペクトラム(ASD)など、特性を持った子どもたちは、その特性ゆえに本人が一番困っている場合が多いものです。感覚の過敏さ、こだわりの強さ、コミュニケーションの難しさ――日常生活の中で「生きづらさ」を抱えているのは、子ども自身です。

そんな子どもたちに向き合う親は、毎日が試行錯誤の連続です。時には深く理解し寄り添い、時には社会の中で子どもが孤立しないように、あえて「叱る」という選択をすることもあります。

大切なのは、どんな親も「子どもを思う気持ち」は変わらないということ。発達障害があっても、自閉症スペクトラムであっても、知的障害があっても、親はその子の幸せを願い、一生懸命に向き合っています。

ただ現実として、親の力だけでは足りないこともたくさんあります。軽度の発達障害であっても、日々の支援や見守りが必要な場面は多く、もっと多くの人の手を借りられる社会であれば、親も子も救われるはずです。

「普通じゃないからこそ、普通の支援を受けられない」そんな矛盾の中で、親たちは日々、孤独や葛藤と闘っています。ほんの少しの理解と、支援の手があれば、それだけで救われる家庭がどれほどあることでしょうか。

不登校は「悪」ではない。
発達障害の子どもたちの生きづらさに寄り添う社会へ

発達障害のある子どもたちは、生活の中で多くの困難を抱えています。生活リズムや時間の感覚がずれやすく、感覚過敏や神経質さから環境の変化に対してストレスを強く感じやすい。周囲の子が普通にできることでも、どうしても苦手だったり、うまく切り替えができなかったりすることが日常の中にたくさんあります。

だからこそ、「不登校」になるのは、その子の特性としてごく自然なことではないでしょうか。
私は、「不登校にならない子がすごい」のではなく、「不登校になるのが当たり前な子どももいる」と思っています。
不登校は決して悪ではありません。

その子の「今の心と身体の状態」に正直であるからこその結果であり、それを「問題」として扱うのではなく、「理解」することから始めてほしいのです。

そして今、社会がもっとできることはたくさんあると感じています。
たとえば、朝が苦手な子に合わせて、登校時間を1時間遅らせる。9時登校や午前中だけの登校にする。特性に合わせた柔軟な時間割や在籍スタイルが認められれば、もっと多くの子どもたちが無理なく学び続けられるはずです。
「合わせてほしい」のではなく、「優しさ」のある社会であってほしい

私たちは決して、「発達障害のある子どもに社会を合わせてほしい」と言っているわけではありません。
ただ、もしこの社会に「優しさ」という余白があるのなら、そう願わずにはいられないのです。

発達障害のある子どもたちは、ときに「わがまま」と誤解されてしまうことがあります。けれどそれは、意図的なものではありません。

特性には限界があり、「普通」に近づこうと努力しても、どうしても越えられない壁があるのです。


本当は、誰よりも「普通の子になりたい」「みんなと同じようにしたい」と思っているかもしれません。けれど、感覚のズレ、コミュニケーションの難しさ、環境の変化への弱さ。それらは本人の「気持ち」や「やる気」ではどうにもならない現実です。

だからこそ、社会の側が少しでもその子の「苦しさ」に目を向けて、わずかでも理解し、配慮してくれる優しさがあれば。
それは「特別扱い」ではなく、「その子がその子らしく生きていける環境」を整えること。
誰かを優先することではなく、誰も取り残さない社会の一歩だと思います。

普通になりたくてもなれない現実」があるからこそ、そこに寄り添う優しさを、社会の当たり前にしてほしい。
そんな親としての願いを、声として届けていきたいのです。
私たち親は、子どもに合った支援や環境があれば、子どもたちがのびのびと育ち、可能性を広げていけると信じています。だからこそ願うのです。

「不登校」という言葉の裏側にある、子どもたちのSOSや特性をもっと理解してもらえる社会に。
そして、その子たちのための「居場所」が、もっともっと増えてほしいですね。