紹介状の一枚で、私と息子は“医療の外側”に追いやられた」 | ⭐️まあちゃん家族⭐️

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うちの子どもは元気いっぱい陽気な、自閉症スペクトラムきょうだい❣️
息子 小3 / 娘 小4 / パパ / まあ(私)よろしくお願いします‍♀️




ららを産んだところは藤田ばんたね病院。大学教授の多田伸 医師に診てもらいました。



私は10年前、息子を授かったとき、名古屋市中川区にある藤田ばんたね病院を訪れました。

娘の妊娠時、その病院でで高血圧症で入院し出産した経験があったからです。


当時、入院先で同室の患者さんとちょっとしたトラブルがありました。

私はすぐにナースステーションに相談しに行きましたが、対応してもらえず、ナースの方に自宅が近いので

安全に休まることが難しいのでしたら、

帰宅することを伝えました。対応もなかなかしてくれず、立っているだけでもしんどいので荷物を持って自宅に帰ってきました。

その後、また病院から受診するように連絡があり

藤田ばんたね病院に受診し検診を受けるようになり、娘のララを出産しました。それまでは妊婦検診時にエコーをしてくれる医師などはとても冷たかったです。

それでも娘を産むことをためらわず、その病院で最後まで通い。出産しました。



それから1年後、息子のはくがお腹の中に宿り

先々を踏まえ、陣痛などそういった対応には最寄りの病院が良いと選んだのが、再び同じばんたね病院でした。

去年のことを引きずって言われても仕方ないと思っていました。


産婦人科医 多田 伸 医師の診察を受けた際、

そのときの出来事を唐突にぶり返されました。


「スタッフと仲良くしないといけないよ」

「うちで産むならそれなりの覚悟がいるからね」


私はただ、安全に出産したくて相談しただけでした。

でも返ってきたのは、怖さを感じるような言葉でした。


そして、こうも言われたのです。


「僕が紹介状を書いたら、君はどこの病院にも診てもらえないよ」「僕が紹介状書いたら、恥をかくんだからね」と言われました。


信じられないと思いましたが、本当にそのとおりのことが起きました。


その後、紹介状を受け取りました。

でもそこに書かれていた内容は、まるで「私がトラブルを起こす迷惑な患者である」かのようなものでした。


私は「これはおかしい」と抗議しました。

紹介状を書き直してほしいと頼みましたが、ほとんど内容は訂正されず、

そのまま他の病院に持っていくしかありませんでした。


結果、どこに行っても不適切な対応を受け続けました。

病院を回っても回っても嫌がらせや恐怖の中、孤立をしながら育児と現実に向き合いながら、生きてきました。

それが10年にわたって続きました。


最初は私一人だけが、理不尽な扱いを受けているのだと思っていました。


でも、今は息子までもが同じような対応をされています。


必要な説明もされずに出された薬で、

副作用に苦しみ、生活が立ち行かなくなった日もありました。寝込んだ日もありました。


医療器具で必要のない検査や血液検査をした後にCTで写し、1カ月に2回や1年で何回だろう。。

変わる変わる病院で同じ検査ばかりしてきました。

身体的な痛みが長引いたことや微熱もありました。

よく分からないけどらアレルギーもなかった身体はアレルギーにもなり、生活に支障がでています。


「おかしい」と思っても、訴えれば“クレーマー扱い”。

他の医療機関に行こうとしても、紹介状や過去の記録が障壁となり、また同じ対応の繰り返し。


逃げ場のない医療の迷路に、私たちは今も閉じ込められています。


特定の医師に対して意見したこと、トラブルを回避しようと相談したこと――

それらが「扱いづらい患者」というレッテルになり、

病院内での扱いが徐々に冷たくなっていったことを、私は実感しています。


私が抱えているのは、ただの“思い込み”ではありません。

10年もの時間が証拠です。


息子にも広がる影


一番つらいのは、息子にも同じような態度が向けられるようになったことです。


言葉には出されないけれど、明らかに距離を取られている。

「親がこうだから」という無言の偏見が、子どもにも影響している。


それは決して、あってはならないことのはずです。



その為、息子の母子手帳の経過記録の


その後、他の病院に受診をしてもうちでは見れないと拒否されてたらい回しにあいました。

記録に印がないところの病院もあり、主人は産める病院が見つかるまで受診するように、支えてくれました。

名古屋 棭斎会病院ではうちで産むなら会議しないと分からないからと言わた事もありました。



貧血の治療もしてもらえず出産しました。



まだ続きがありますが書くことがしんどい。
思い出すと涙で溢れて書けません。


現在も、私は多くの医療機関に行くことができません。
嫌がらせを受けたり、冷たい扱いをされたり、
そのたびに「私が悪かったのだろうか」と自分を責める日々です。


けれど、声をあげることをやめたくありません。
もし私のような経験をしている人がいたら、
「あなたのせいじゃない」と伝えたい。
そして、医療がもっと人に寄り添う場所であってほしいと、心から願っています。

■ 私が知ってほしいこと

私は、医師を怒らせたかったわけでも、職員と対立したかったわけでもありません。
ただ、安全に出産したいと願っていただけです。
ここでも事実をねじ曲げられてしまう。


でも、一度「問題のある患者」と見なされたことで、
私は社会的に“排除される側”に回されました。

紹介状は、本来、命を守るための連携手段のはずです。
それが、一人の人生を潰す武器のようになってしまった。

【最後に】

もしあなたが今、医療の場で理不尽な扱いを受けているなら、
どうかひとりで抱え込まないでください。

私は生きています。
苦しくても、信じられる誰かに話すことで、何かが変わるかもしれません。

けども,私の身体はそう耐えれる程時間がないので
書き残します。


今年も身体は乗り越えれるのかどうか。

私はこの事実を「公開」することに踏み切りました。
単なる感情の吐露ではなく、10年以上にわたる経験と被害の蓄積からくる、深刻な人権問題として記録するものです。

公的機関や司法においても、電子カルテや紹介状による偏見が実際に患者の人生や健康を左右しうる事実を、
一つの事例として誠実に受け止めていただきたく、ここに記します。




事の発端に心当たり、
ららはくを妊娠する少し前のこと。独身の時、私は名古屋掖済会病院の産婦人科を受診しました。
目的は子宮頸がん検診です。検査自体は問題なく終わりましたが、後日に検査結果を聞きにいきました。
しかし、検査の事は何も言わず結果表すら渡されませんでした。
電話をすると、担当の女医からは「申し訳ございません」と謝罪の言葉だけ。

今振り返ると、あの一件が何かの“引き金”になっていたような気がしてならないのです。

◆ 不自然な扱いと孤立感

その後、妊娠中に「妊娠高血圧症」と診断され、藤田ばんたね病院に入院することになりました。
ららがお腹にいるときです。入院初日、私は6人部屋に入りました。でも、そこで待っていたのは予想外の空気でした。

配膳の際、私だけが不自然に冷たい態度を取られ、机に「バンッ」と乱暴に置かれる。
周囲の患者さんとはあきらかに違う扱い。
まるで、最初から「何かを知っている人たち」に囲まれているような、そんな孤立感に襲われました。


医師同士で情報が共有された

担当したのは、ある大学教授の医師(多田伸医師)でした。私はこの時ふと、「最初に受診した掖済会病院の女医が、何か情報を伝えたのではないか」と思いました。

もちろん、医師同士の引き継ぎや情報共有は医療の現場では行われるものです。しかし、患者が不利益を被ったり、不信感を抱くような形で行われるべきではないと私は思います。


周囲の医師たちまでもが、まるで「何かを知っている」かのような態度に感じられ、違和感は日に日に強まっていきました。