光源氏のモデルとして有力なのは源高明です。光源氏も源高明も「一世源氏」です。母は「更衣」です。

 「源」というと、武士を連想しがちですが、「源氏21流」と称されるように、実に多くの皇族が臣籍降下して「源氏」となりました。厳密な定めではありませんが、天皇の1世が臣籍降下する場合は「源」、2世も「源」、3世は「平」という区分がありました。臣籍降下の理由は、皇族人数が増えると財政負担が大変です。そのため、皇室を離脱させて財政負担を減らしたのです。

 高明の末娘の明子は、藤原詮子の庇護を受け、藤原道長の妻となりました。藤原詮子は道長の姉です。

 高明は醍醐天皇の第十子でしたが、光源氏と同じように天皇を継げない立場でした。母親は「更衣」という、天皇に仕える女官の身分でした。天皇にはなれなかったものの、身分は高く、またかなりの切れ者でした。969年に起きた「安和の変」で天皇への謀反を疑われ、地方へ左遷されてしまいました。

 光源氏も、朧月夜という女性との恋愛関係が原因で、須磨地方に左遷されることになりました。左遷(須磨・明石)から帰京し、その後、栄耀栄華の身となりました。