方丈記は鎌倉初期の随筆、鴨長明作です。書名は長明が晩年に居住した日野の方丈の草庵にちなんだものです。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観を表白する流麗な文章に始まり、良く知られていますが、何が書いてあるのかよく知りませんでした。

 五つの大きな災厄がまず記述されています。京都の3分の1を焼き尽くした安元3年(1177)の大火、治承4年(1180)の旋風、同年、平清盛によって突如強行された福原への遷都、養和年間(1181~82)の大飢饉、元暦2年(1185)の大地震と打ち続く大きな災厄の前にあえなく崩壊していく平安京の光景が迫力ある筆致で描かれています。そしてこの世の無常と、人の命のはかなさが強い語調で結論づけられています。続いて長明に訪れた不遇のため、50歳ころ出家、60歳に及び日野に方丈の庵を構えるに至った経過が述べられています。漢文訓読調を混ぜた和漢混交文は力強く、論旨を明快なものとしています。とりわけ五大災厄の描写は緊張した文体で、的確、リアルできわめて印象的です。

 私は長らく継いだ家に一人で住んでいます。出家して世捨て人なったわけではありませんが、コロナの流行で、ままならない人生を送ってきました。妻は亡くなり、2人の子は遠くに住んでいます。生きるのも思い通りにはなりませんでした。10年前はやがて引退し、冬はハワイに住もうかと考えていました、70歳を過ぎてから毎週末は、車で15分のところにあるゴルフ場で食事をして、その後13時からハーフゴルフを楽しむようになりました。春は桜・つつじ・ハナミズキ・藤の花を見、夏はカッコウの声を聴き、秋はツクツクホウシの鳴き声を聞き紅葉を見て、梨・柿・栗・松茸・リンゴを食べ、冬は雪を愛でて日帰り温泉に入り、ブリ・カニ・タラ・カキなどを食べる優雅な生活を目指しています。月の命日の読経に身が入らない時は怠け、時に富山湾に浮かぶ船を眺め、立山連峰の冬景色を見て自分を慰め、心を癒しています。「狭い庵」いや広い家ですが、掃除などは家事代行サービスが入り、いまは一人で住むのに不自由はありません。

 私は世の無常を知り、無益な願いは持たず、静かでいることを望み、悩みが無い事を楽しみます。家政婦を使うよりも自分で自炊しています。そのほうが気楽なのです。自分が自分の従者となるのが一番です。鴨長明は「人と会わないから己の貧しさを恥じることもなく、食べ物は少ないですがこれは努力不足なので甘受するしかありません・・・・・・・・。」と言っていますが、わたしはできるだけ誰かと会食をするようにしています。心が安らかで楽しまなければ、残された人生は意味がありません。

 鴨長明は次のように結んでいます。「さて私の命も残りわずかとなりました。 私が世を捨て山に入ったのは心を鎮めて悟りを開くためでしたが、私の姿は聖人のようでありながら心は穢れに満ち、修行の成果は愚鈍にも及びません。これは因果の応報か、はたまた煩悩故の狂気でしょうか。自分に問うても答えは返ってこず、人を救うと言われている阿彌陀仏を口に出して呼んでみましたが二、三回で止めにしました。(日野外山の庵にて)」

 方丈記は、荒れた世の中の無常と鴨長明の無常観がよく表れた書です。

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