大河ドラマ・軍師官兵衛に佐々成政が出てきました。秀吉の九州征伐に従軍し、肥後国の領主となりましたが、一揆が起こり失政を問われ1588年切腹しました。翌年肥後は北半分を加藤清正に、南半分を小西行長に分け与えられることになりました。このとき清正が居城としたのは隈本城でした。
佐々成政は、安土桃山時代の武将で越中国主です。日本史の教科書には出てきませんが、富山県では知らない人はいません。富山市に安田城があります。安田城には、成政のビデオがあり、知らなかった歴史がよくわかりました。成政は、尾張国の人で、はじめは織田信長の天下統一のために働き1575年に越前小丸城主に任ぜられ、1580年に越中国主となり富山城に入りました。1582年本能寺の変で信長が倒れた後も織田家への忠誠を貫いて秀吉と対立しました。
1584年、隣の加賀勢、上杉勢に気づかれずに家来200人を連れ厳寒の立山連峰を超え浜松の家康を訪ね決起をうながしました。これは「さらさら越え」として後世に伝えられています。そのルートは黒部湖から扇沢~大町へ抜けるものであったと言われています。しかし1584年、家康は小牧・長久手で、織田信雄(のぶかつ)と共に秀吉と戦いましたが敗れてしまいました。その後佐々成政は秀吉の越中攻めにあい降伏し富山城を去りました。そして、秀吉の九州征伐に従軍し、肥後国の領主となりました。
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