先日「金曜ロードショー」で久しぶりに名作「E.T.」が地上波放送された。
ちょうどETが仮死状態となり悲しみに暮れるエリオットのシーンから.壮大なファンタジーが繰り広げられるエンディングまでをオンタイムで観た。
世代的にはあのETの造形を観るだけでウルウルしてしまうので、すぐにアンブリン・エンターテインメントのクレジットの映像として採用される自転車で空を飛ぶシーンが思い浮かんでしまう。
クレジットロゴでは月を背景に夜空を飛ぶ映像なのだけれど、実際の本編では夕刻の空へ舞い上がるというシーンだった。
今の人たちがこの作品を観ても安直なファンタジーにしか感じられないのは仕方ないと思う。
それでもあの時代に一緒にこの作品のムーブメントを体験できた世代にとっての「E.T.」はいつまでも色あせないSFファンタジーの金字塔であり、スティーヴン・スピルバーグがハリウッドのトップクリエイターとしてその名を刻むことになった名作であることは間違いない。
当時の「ET」をめぐるムーブメントがどれほどすごかったのか、今となってはリアル映像も含めてなかなか再現するのは難しい。
そんな中で自分が体験した「ET」の時代を振り返ってみた。
映画「ET」の日本での公開は1982年12月4日のこと。
本国アメリカの公開日6月11日から実に半年も遅れての公開だったが、当時の日本の映画興行では外国映画の上映としては一般的なサイクルだったと思う。
まず1982年12月の公開映画を振り返る。
12月3日
「団鬼六 少女木馬責め」(にっかつ)
「温泉芸者 湯舟で一発」(にっかつ)
日活ロマンポルノのプログラムピクチャー。
12月4日
「ET」(東宝東和)
「ラスト・クリスマス」(東宝東和)
「地中海殺人事件」(東宝東和)
ちなみに「地中海殺人事件」は地方では後日公開の「ランボー」と同時上映だった。
12月11日
「薔薇の星座」(東映セントラルフィルム)
「白い牡鹿たち」(東映セントラルフィルム)
「薔薇と海と太陽と」(東映セントラルフィルム)
この3本はいずれも松浦康治監督のプログラムピクチャー。
12月17日
「遠野物語」(日本ヘラルド)
12月18日
この週がいわゆるお正月映画の一斉公開日となる。
「グリース2」(パラマウント映画=CIC)
「愛と青春の旅立ち」(パラマウント映画=CIC)
「ポーキーズ」(20世紀フォックス)
「ランボー」(ファインフィルムズ)
「病院狂時代」(20世紀フォックス=日本ヘラルド)
「アニー」(COL)
この年は外国映画の名作・話題作が揃った。
「伊賀忍法帖」(東映)
「汚れた英雄」(東映)
当時の角川映画は基本二本立て上映。
「ウィーン物語 ジェミニ・YとS」(東宝)
「三等高校生」(東宝)
それぞれたのきんトリオの田原俊彦と野村義男が主演。
「六神合体ゴッドマーズ」(東宝東和)
12月20日
「じゆうを我等に」
人気作品「AKIRA」以前の大友克洋監督作品。
12月24日
「隣の女」(東映ユニバース)
フランソワ・トリュフォー監督作品でシネマスクエアとうきゅううで単館上映。
「OH!タカラヅカ」(にっかつ)
「赤いスキャンダル 譲治」(にっかつ)
日活ロマンポルノのプログラムピクチャー。
12月28日
「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(松竹)
「次郎長青春篇 つっぱり清水港」(松竹)
お正月の寅さん作品も二本立て。
「ET」はこの年のお正月映画の大本命として公開された。
そしてこの公開日に生まれて初めて映画を観るために徹夜で並んだ。
映画館は新宿ミラノ座。
当時の映画館としては最大級の客席数を誇る大劇場でその規模は1288席もあった。
あの時代は都内にキャパ1000人規模の映画館がいくつもあった。
渋谷パンテオンなどは70mm上映の巨大スクリーンと二階席だけでも400席を有する大劇場だった。
「ET」の公開は年末だったので相当寒かったとは思うけれど、当時まだ20代前半だったこともあって友人と並んだひと晩はいい思い出になった。
その後もイベント参加等で徹夜をしたことは何度かあると思うけれど、映画を観るためにというのはこの時が最初で最後だったはず。
映画の舞台挨拶に関してはそれ以降も角川映画の薬師丸ひろ子や原田知世出演作品や堀北真希の出演映画などで何度か朝から並んだりはしたけれど、次第に事前の整理券配布や指定席券を発売するようになって徹夜ということはなくなった。
現在はシネコンシステムが定着し、前売で指定席をネット購入あるいはぴあ等で事前抽選販売といった時代になったので、そういう意味では便利になったと思うけれど、映画のために並ぶというあの頃の熱というか映画業界全体の盛り上がりは懐かしくもある。
ちなみにその後自分が朝から並んだ作品は「わが青春のアルカディア」など初日限定の記念品配布などがあるケースのみだったかもしれない。
この「ET」の大ヒットは誰の目にも明らかだったこともあってか、その翌週のロードショー公開作品は一本もなく、お正月映画が一斉に公開となるその次の週まで映画興行はほぼ「ET」一色になっていたのだろう。
現在はとにかく毎週たくさんの作品が公開されて、一週間後にはあっという間にまた別のラインナップでスクリーンが埋め尽くされていく。
多くのヒット作品は多様な上映形態で複数のスクリーンを席巻し、気がつけば観たかった作品のタイムテーブルが激減なんてことは当たり前になってしまった。
シネコンに足を運ぶ客層もまず映画鑑賞ありきの映画ファンより一本の作品に固執する作品ファンの比率も多くなってきているのを日々感じる。
もはや劇映画よりもアニメ作品の方がスクリーンを占める割合が多いなんてことも驚かなくなった。
確かに毎週公開される新作をワクワクして待ったあの時代よりも、たくさんの作品に短期間に触れられる今の方が映画産業としてはいいのかもしれないけれど、あまりにも多くの上映作品が使い捨てられるようにタイムテーブルから消えていくのはやはり寂しさを禁じえない。
そういう意味ではあの時代のプログラムピクチャーだったり、地方のスクリーンで二本立て上映されたりすることで、意外な作品との出会いもあったりするのも幸福なことだったなと改めて思い出す。
