「遠い山なみの光」
“A PALE VIEW OF HILLS”
(2025/日本=イギリス=ポーランド/ギャガ)
監督:石川慶
原作カズオ・イシグロ
脚本:石川慶
広瀬すず 二階堂ふみ 吉田羊 カミラ・アイコ
柴田理恵 渡辺大知 鈴木碧桜 松下浩平 三浦友和
おすすめ度…★★★☆☆ 満足度…★★★★★
これはなかなか評価が分かれる作品だろう。
そもそも純文学の映像化という時点でハードルは上がるわけだけれど、広瀬すずと二階堂ふみという若手実力派女優がこれまでにはない役どころを見事に演じていて、その圧倒的な画力もあってスクリーンに前のめりになっていくと最後に予想外の展開が用意されていて唖然とする。
それをどう受け止めるか、理解できないまでも自分の中でどう落とし込めるか、まさにエンタメとして楽しむだけではない映画鑑賞という経験値がないと難しい作品になってしまった。
イギリスで作家として活動しているカズオ・イシグロの1982年のデビュー作を日本・イギリス・ポーランド合作で映像化した作品。
カズオ・イシグロの名前を個人的に知ったのは2005年発表の「わたしを離さないで」なのだけれど、きっかけは2014年に上演された舞台「わたしを離さないで」で、後に連続ドラマ化された作品もあって気になってハヤカワ文庫版を購入。
最初に読んだのは「日の名残り」で、ジェームズ・アイヴォリーが監督し、アンソニー・ホプキンス主演で映画化された作品をそのあとに観た。
もともとイギリス映画の香りというか、先のジェームズ・アイヴォリーの「眺めのいい部屋」(1985)以降の洗練された映像もあってイギリス映画そのものが好きなので、今回の作品全体に横たわる雰囲気はとても心地よかった。
ベースとなるのは50年代の長崎と80年代のイギリス郊外の田舎町を行き来しながら描かれる一人の女性の回顧ということなのだけれど、その長崎の映像も含めて日本であって日本でないような不思議な感覚で最後まで一貫していたのはよかった。
50年代の長崎、広瀬すず演じる緒方悦子は夫の二郎と団地住まいでお腹に第一子を身ごもっていた。
ある日、男の子たちからいじめられている少女万里子を助けてその自宅へと送っていき、川沿いのあばら家で母子で暮らす母親の佐知子と知り合う。
実は悦子はかつて団地の窓から米兵を招き入れる佐知子を見ていた。
近く米兵とアメリカに移住すると明言する佐知子の姿に自立した女性の強さを見る悦子。
観客はこの最初のシーンで見事にミスリードに絡めとられる。
80年代のイギリス、郊外の居宅で暮らす悦子の姿があった。
英国人と再婚して異国に渡った悦子だが、すでに夫に先立たれ、長女の景子も失っていた。
大学を中退して作家を目指す次女のニキが実家に戻ってきて、悦子の長崎時代の話を聞いて小説の題材にしたいという。
ニキの前で少しずつあの頃の話を始める悦子。
50年代の長崎と80年代のイギリス、二つの時代が交錯しながら次第に隠されていた過去の真実が浮かび上がっていく。
最後の局面をどう理解するかで意見は分かれる。
多くは「意味不明」だとか「わけわからん」とかそういうことになるのはやむを得ない。
悦子が語ったあの時代の長崎はすべて虚構だったのか?そう考えるのが正しいかもしれないけれど、悦子の視点以外の局面…例えば三浦友和演じる義父がかつての教え子を詰問するシーン…をどう解釈すればいいのか?
物語の背景に横たわる川向うで頻発する少女殺害事件?の真実は何だったのか?
悦子が手にした縄紐は子育てという呪縛から解き放たれたいという意志の表れだったのか?
そもそも長女景子はいったい誰だったのか?
ニキが知る景子の年齢を考えると30年の月日で何があったのか?
カズオ・イシグロ自身が長崎で幼少期を過ごしていることもこの作品には深く投影されている。
そして戦後の長崎でも被爆者への偏見が確かにあって、万里子にもその傷痕が残っている。
原作が純文学を形をとったミステリだとすると簡単に考察するのも違うかなとも思う。
原作の映画化に対するカズオ・イシグロ氏のインタビューが興味深い。
演じる方だって大変だったらしいので、すべては観客に委ねられたということでいいかもしれない。
そしてすべてのヒントは石川監督のコメントに集約されているのかもしれない。
「この長崎は悦子の記憶の中のものです。どう記憶していて、それをどのように語るかが、映画として重要な部分でした。広瀬さんと二階堂さんは本当に理想的なキャスティングで、演技も素晴らしかった。特に佐知子はミステリアスで存在自体が抽象的なキャラクターなのですが、二階堂さんは毎回精度の高い芝居をしてくれて。それに反応して、広瀬さん演じる悦子も少しずつキャラクターが変わっていく。とてもいい化学反応が現場で起こっていました」
一本の映画でこんなにも深く考察できることが本質的に映画を楽しむことの醍醐味なのかもしれない。
イギリスに渡った悦子の流ちょうな英会話とあの日の長崎で佐知子が外国人女性たちに稲佐山で語る姿、いま思えばたくさんのヒントは散りばめられている。
それでも万里子という存在があるがゆえにその先の想像まで思い至らなかったのは事実で、イギリスの亡き景子の部屋でニキが発見するあの小箱の衝撃は見事だったと言わざるを得ない。
いずれにしても広瀬すずがこういう演技を当たり前のように演じ切った驚きと二階堂ふみの佇まいが映像を支配していて、最後までスクリーンから目を離せなかった。
タイトルの遠い山なみの光を背にした広瀬すずの表情がしばらく脳裏に焼きついた。
本当はもう一度じっくり観たい作品ながら果たして機会があるだろうか。
MOVIX伊勢崎 シアター4



