「ジェーンとシャルロット」
“JANE PAR CHARLOTTE”
(2021/フランス=イギリス=日本/リアリーライクフィルムズ)
監督:シャルロット・ゲインズブール
脚本:シャルロット・ゲインズブール
(ドキュメンタリー)
ジェーン・バーキン
シャルロット・ゲインズブール ジョー・アダル
おすすめ度…★★☆☆☆ 満足度…★★★☆☆
ジェーン・バーキンは、2021年9月に脳卒中を発症したのを含め、16年間にわたる厳しい闘病生活の末に亡くなりました。彼女の家族や素晴らしい看護スタッフは昼夜問わず、ずっと彼女のそばに付き添いました。
数日前まで、彼女は歩くことができるまでに回復し、オランピア劇場での再演を目指して自立を取り戻す意欲もありました。しかし、彼女は(自立の)最初の一晩を一人で過ごすことを決め、それが最後の夜となりました。
シャルロット・ゲンズブール
ルー・ドワイヨン
ジェーン・バーキンのことは名前程度は知っている。
今夏にその訃報が報じられた時、あのエルメスのバーキンの由来にもなった彼女が、あの時代のまさしくファッションアイコンだったことも改めて知った。
ただ女優としてもアーティストとしても多岐にわたってトップスターだったことは、今回のドキュメンタリー映画を観て初めて知った。
この作品では2017年以降、娘のシャルロット・ゲインズブールが実母のジェーン・バーキンとの二人の時間を作るためにドキュメンタリー撮影という形をとったと語られる。
映像はジェーン・バーキンの日本での公演からスタートする。
その後、長時間のインタビュー撮影をジェーン自身が嫌ったためにしばし撮影が中断、コロナ禍を経て撮影が再開されたが、その時点でジェーン自身も病に冒され、結果として彼女の晩年を総括するような作品になった。
シャルロット・ゲインズブールは鮮烈なデビューを飾った80年代のフランスのアイドル女優として認識していた。
ただフランスの女優としては先にソフィー・マルソーがブレイクしていたし、ハリウッドに目を転じれば「エンドレスラブ」のブルック・シールズや「パラダイス」のフィービー・ケイツなど、海外のアイドル女優全盛期でもあった。
シャルロット・ゲインズブールの作品では「なまいきシャルロット」や「シャルロット・フォー・エヴァー」に「小さな泥棒」と相次いで話題になったものの、当時すでに地元に戻ってしまっていたので、それらの作品を観るには都内へ出なければならず、テレビの深夜枠での放映等しか機会はなかった。
気づいたら彼女の演技をスクリーンで観る機会のないままだった。
今回まさか52歳になったシャルロット・ゲインズブールをスクリーンで観られる機会を得るとは思わなかったが、そのビジュアルは当時をオーヴァーラップさせるには十分な美しさを感じた。
ジェーン・バーキンの波乱に満ちた恋愛遍歴も初めて知った。
最初の夫が数々の映画音楽で知られる名作曲家ジョン・バリーで二人の間にはケイト・バリーが生まれるが、後に離婚。
その後、セルジュ・ゲンズブールと結ばれ、ここで次女のシャルロット・ゲインズブールが生まれるが、彼のDVなどもあり事実婚は解消される。
さらにフランス映画の名匠ジャック・ドワイヨン監督と結婚し三女ルー・ドワイヨンを儲けるがやがて破局する。
ジョン・バリー~セルジュ・ゲンズブール~ジャック・ドワイヨンという名前の連なりを見ただけで、ジェーン・バーキンという女優があの時代のエンターテインメント界のど真ん中にいた人なのだと驚く。
しかし2013年に長女で写真家だったケイトが転落死で急逝するなど、ジェーンの波乱の人生は晩年も続いていく。
作品中でジェーンとシャルロットの関係性が語られる中で、いずれも2番目の子供との繋がりが強いことがわかる。
ジェーンには映像作家の兄アンドリュー・バーキンがいて、シャルロットもジェーンの次女、そして彼女もまた作品中にも登場する娘ジョーもまたシャルロットの二人目の子供らしい。
きっとこうした背景を知った上で観たらもっと深い部分で感銘も受けたのかもしれない。
かつて暮らした別れたセルジュの家を訪れるシーンが興味深い。
たくさんの受賞の楯やゴールドディスクの数々に、この家族たちがどれだけすごい人生を送ってきたのかを一瞬にして想像することができる。
そういえばジェーン・バーキンの出演作品を過去に観たことがあるか調べてみた。
どうやら「美しき諍い女」(1991)と「地中海殺人事件」(1982)は間違いなく観ているらしい。
確か「美しき諍い女」はCS放送で録画したものが残っているので観なおしてみようと思う。
ちなみにこの作品は公開当時から上映時間が4時間近い長尺だ。
この「ジェーンとシャルロット」が本国で発表されたのは2021年。
今回の日本での上映が決まった直後にジェーン・バーキンの訃報というタイミング。
自他ともに認める親日家だったされる彼女への供養にもなったのかもしれないと思う。
改めて、合掌。