西国寺下のバス停から山陽本線を潜るとほぼ一直線の石畳の参道が延びています。
さすがに尾道でも有名な大きな寺ということで、元日の参道を歩く参拝客もぼちぼち見受けられます。
石畳の参道はそのまま西國寺の山門へと続いています。
西國寺は大宝寺山(千光寺山)・瑠璃山(浄土寺山)とともに尾道三山と呼ばれる愛宕山(西國寺山)の山腹に大伽藍を展開しています。
山門までは短い石段が続き、尾道には珍しく緩やかな参道となっています。
山門の左右には西國寺のシンボルでもあるの大わらじを中心にたくさんのわらじが奉納されています。
摩尼山総持院西國寺。
古義真言宗・真言宗醍醐派大本山。
本尊:薬師瑠璃光如来。
天平年中(729-749)、行基菩薩創建。
山門は元文五年(1740)の大修理の棟札がある。
扁額の「摩尼山」の文字は小松宮彰仁親王の筆。
山門(仁王門)の大わらじは約2メートル。
2013年に36年ぶりに掛け替えられたようですから、自分がこの大わらじを見るのは初めてということになりますか。
これらたくさんのわらじは健脚祈願で奉納されたもの。
慢性の股関節痛のある自分にとってはありがたいというより、あやかりたいというところですが、まずは無事にこの旅を終えることを祈念しました。
大わらじに気をとられて見逃しそうですが、仁王門に奉納されている仁王立像もなかなかの迫力。
こちらは阿形。
そして吽形。
そこそこ参拝客が続いてなかなか写真が撮れず、しばし時間調整して人が途切れるのを待っていたので、結局ここに5分くらいはいたようです。
大わらじの向こうに金堂の大甍、その上に本坊、そして三重塔が連なっているのが分かります。
山門を入ってすぐ右手に手水舎。
西國寺参拝の前に立ち寄るところがあります。
参道途中の左右にある持善院そして金剛院という二つの塔頭寺院。
まずは向かって左にある持善院。
こちらは神仏習合の寺院となっていて、門前の石柱も右に「持善院」左に「多賀社」と別になっていました。
持善院の本尊は聖観世音菩薩。
境内に進むと何やら読経の声が響いています。
小さな山門を入ってすぐの本堂から聴こえてくるのかと思ったらどうやら違うらしい。
そもそも本堂で手を合わせる参拝客はあまりいない様子。
ひとまず御本尊に手を合わせてお詣り。
あとで知ったことですがl本堂に飾られていた切り絵のようなものは、お正月に配布される「干支の飾紙」とのこと。
本堂の片隅でお守り等を扱っている方がいましたので、おそらくそこで拝受できたのでしょうが、不勉強ゆえに今回はさらりと流してしまいました。
さらに本堂の奥へ進むとずっと聴こえていた読経の場所が分かりました。
こちらが多賀大皇神社で、地元の方と思われる多くの参拝客の目的はどうやらこっちのようです。
狭い堂内にたくさんの参拝客が集まって祈祷を受けていて、なんとなく近寄りがたい空気もあったので遠くから手を合わせて済ませました。
向拝の上に掲げられた龍の注連縄が有名のようで、その時は気づきませんでしたが、なるほど写真にはしっかり写っていました。
さて、この持善院では他に見ておきたいものがありました。
それを確認するために境内の後方へと進みます。
35年前の記憶を辿るようにしてその場所を探しますが見当たりません。
映画「時をかける少女」のロケ地のひとつであるヒロイン芳山和子の自宅として使われていた小浜邸がこの高台にあるはず…。
間違いなくこの持善院の裏に見えるはず…。
あとでネットで調べたところすでに十数年前には空き家となっていて、その後は廃屋と化しているとのロケ地めぐりの方々の報告がいくつか出てきました。
もしかしたら回り込んで高台まで上がればその現状を見られたのかもしれませんが、今回の旅では2日前に「タイルの小路」の現実を目の当たりにしたばかり、逆にこのまま自分の思い出の景色の中に残していくのが正解だったのでしょうね。
ちなみにその「タイルの小路」についてもいろいろ情報があって、ロケ地めぐりの観光客が大挙押し寄せた結果、管理されている方の対応が困難となり、あえてロケ地としての保存を断念して「閉鎖」となったようです。
さあ、気持ちを切り替えて参拝を続けます。
持善院から見下ろす西國寺の仁王門。
まだ西國寺への参拝の途中ですが、午前中の青空が嘘のようにちょっと雲が多くなってきました。