宿題を片づけに…三光稲荷神社と馬琴終焉の地。 | MCNP-media cross network premium/RENSA

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メディアの旅人はあなたです。

2017年5月24日。
久しぶりに上京して映画を観ることにしたものの、それだけのために…というのは交通費ももったいないので、今回も早めに出発して寄り道してから目的地の豊洲に向かうことにしました。
 
映画の方は午後の回と夕方の回のどちらか迷いましたが、午後の回だと寄り道する時間もなさそうだし、終わってからだとすぐ夕方になってしまうので、帰宅の時間も考慮したうえで夕方の回にしました。
 
今回も東武東京メトロパスを利用するので、往復とも東武線経由になります。
 

 
もう少し早く出発したかったのですが、あわてて出かけるのも嫌だったので、今回は腹をくくってゆっくり出発。
もっとも起きた時間も遅くなったので最終的にGOサインを出したのは出発の一時間くらい前でしたが…。
 
 
最初に向かったのは人形町。
以前、中央区の神社めぐりをしたときに立ち寄った三光稲荷神社
その書き置きの御朱印を配布している近くの化粧品店「オキナ」さんをもう一度訪ねてみよう。
前回はGW中ということもあってシャッターが下りていましたが、平日の日中なら対応いただけるのではないか?
 
事前に電話で確認ということもできそうですが、こういうのはやはり縁と思うので、もし今回行ってダメだったらまた機会を見て尋ねればいい。
 
人形町駅から地上に出て交差点を渡って小伝馬町方面に向かいます。
前回は一本東の路地を歩いて橘稲荷神社を経由して裏参道から入ったのですが、今回は人形町通りから直に三光稲荷神社を目指すことになります。
 
記憶していたより歩いても三光稲荷神社の参道にたどり着けなかったので、もしかして水天宮駅と間違えているのか?と不安にもなりましたが、ほどなく三光稲荷神社の参道が見え、その先にあるオキナさんも見つかりました。
 
お店は営業中でようやく書き置きの御朱印を授与していただくことができました。
女性店主が日付まで入れてくれたのはありがたかったです。
 
 
改めて三光稲荷神社に寄っていきます。
表通りからはこんな立派な参道になっていたのですね。
 
 
参道の石碑も由来を書いた案内板もこちら側にありました。
 
 
 
表から赤い鳥居を観るとずいぶん趣きが違って見えます。
 
 
やはりこちら側からの方が絵になる感じですね。
 
 
二度目のお詣りを済ませます。
 
 
前回は良く見ていなかった手水舎。
 
 
傍らのボタン式の蛇口を押すことで一定量の水が出る仕組みは、都会の神社ならではの配慮ですね。
 
 
なかなかの勢いで水が出てきました。
 
 
これで前回の宿題はひとつ終えることができました。
人形町駅に戻る途中にあった説明書きと石碑が気になったので足を止めました。
 
玄冶店跡とあります。
この玄冶店という地名は徳川家の御典医だった岡本玄冶に由来するとのこと。
玄冶が幕府から拝領した土地に借家を建て、庶民に貸したことからこの一帯がそう呼ばれるようになったのだそうです。
 
 
説明の末尾にある歌舞伎のお富と切られ与三郎の話ですが、以前テレビの歌舞伎中継で観たのが確かその場面だった気がします。
 
 
このあとは一旦茅場町経由で門前仲町に出て、前回は夕刻で参拝を断念した深川ゑんま堂を参拝します。
 
ちょうど昼時になったのでそのまま昼食も済ませて午後のぶらり散策を再開しました。
 
目指すは滝沢馬琴終焉の地、最寄駅はJRの信濃町。
門前仲町から東西線で飯田橋に出てJR総武線で信濃町というルートが便利でした。
 
 
駅前の歩道橋を渡った先の日高屋の店舗が入っている建物の前に「滝沢馬琴終焉の地」の説明書きが残っています。
 
数年前に国立競技場に来た時にも気づいたと思いますが、そのときはあまり注視していなかったはずです。
 

 
馬琴はこの地で天保七年(1836)から嘉永元年(1848)に亡くなるまで12年間を過ごしたそうです。
 
 

これで馬琴の出自をめぐる散策もひと段落ですが、あと一ヶ所馬琴の筆塚が西日暮里にあるようなので、そこはまたの機会に立ち寄れればと思います。