3月22日は1925年(大正14年)の日本初のラジオ放送開始から90周年ということでNHKでは関連特番やドラマも放送されました。
改めて自分とラジオのかかわりってどうだったのだろう?と思い、実際に自分が聴いてきたラジオ番組などのことを振り返ってみました。
ここでは自分だけのラジオを手にしてから現在までの極めて個人的なラジオ番組の聴取習慣に限定します。
その時代時代によってラジオ番組へのアプローチの仕方が変ったり、メインに聴く放送局が変ったり、そうしたことを整理してみると概ね次のような時期ごとに分類できそうです。
「ラジカセとTBS時代」
「ステレオラジカセとエアチェック時代」
「オーディオコンポとウォークマン時代」
「カーラジオと文化放送時代」
1.ラジカセとTBS時代
初めて自分のためだけに使うことが許されたのは中学生時代に買ってもらったラジカセでした。
最初にリスナーとなった番組で記憶しているのはTBSラジオの夜の若者向け帯番組「一慶・美雄の夜はともだち」だったと思います。
TBSの局アナだった小島一慶と林美雄が日替わりでDJを務めていて、当時出版された番組関連本も買ったりしていたので、それなりに熱心なリスナーだったのだと思います。
調べてみたら放送期間は1976年4月5日~1978年3月31日というわずか2年だったみたいですね。
なぜ最初がTBSだったかといえば、これは単純に自分が住んでいる群馬県の受信事情ゆえで、深夜帯になると周波数が4ケタを超えるラジオ局の音声が聴き取れなくなってしまいます。
今でも同様の受信状況には大きな変わりはなく、昨今は韓国語の放送の方がクリアに聴こえるくらいです。
TBSの深夜放送というと「パックインミュージック」が有名ですが、自分がときどき聴いていたのは「なっちゃこパック」で知られた野沢那智と白石冬実くらいだったと思います。
この頃は高校受験の時期でもあったわけですが、いつの間にか朝型の勉強スタイルが定着していったので、深夜放送というのはほとんど聴かなかったようです。
そんな自分がよく聴いていたのが早朝の情報番組「三菱ふそう全国縦断 ひろし・あきらの朝ですよ~!」です。
当時まだ若手だった久米宏と後にスポーツ実況で有名になる石川顕両アナが日替わりでDJを担当していました。
また毎週土曜の夜には「ヤングタウンTOKYO」を聴くようになったのもこの頃で、赤坂TBSホールからの生ライブ中継や太田裕美やアン・ルイスがレギュラー出演していましたね。
さて、この時期に使っていたラジカセが日立パディスコという機種。
ワイヤレスマイクがボタン一つでプッシュアップで飛び出し、さらにラジオもAM・FM・短波放送と聴くことができた優れものでした。
この頃にはすでにアイドル好きが始まっていたこともあって、同じ時期には文化放送の「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲」の2部を聴いて、番組にリクエストされる最新曲を録音したりしていました。
そんな当時のアイドル好きの強い味方だったのが毎週日曜午後に生放送されていた文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」でした。
小川哲哉の快活な番組進行も楽しかったですが、人気アイドルの新曲をデモテープから初オンエアということもよくやっていて、最新の歌謡曲情報番組としても重宝していました。
2.ステレオラジカセとエアチェック時代
高校に入る頃になると歌謡曲だけではなく音楽全般に興味を持つようになり、すでにはまっていたKISSやQUEENをきっかけに幅広く洋楽を聴き始めたこともあって、ラジオ番組は好きな音楽を録音するためのツールになっていきます。
結果的にFM放送を聴くことが多くなり、洋楽の特集番組や昼の歌謡曲などをタイマー予約して録音するいわゆるエアチェックがメインになりました。
月に一度くらいだったでしょうか、特集番組が放送された映画音楽もよく聴いていましたね。
ただし生活にラジオからの音があるのが当たり前の時代でしたから、何となく昼ワイドも聞き始めたのもこの頃で、唯一聴いていたのがTBSの「大沢悠里ののんびりワイド」だったと思います。
覚えているのはアシスタントのさこみちよや都家かつ江師匠の元気な声と中継コーナー「ミュージックキャラバン」に出演していた大木凡人や三遊亭小遊三など。
この時代にはそれまでのモノラルラジカセからステレオラジカセにヴァージョンアップしています。
使っていたのはSONYのXYZ(ジーゼット)という巨大なラジカセで、別途レコードプレイヤーと繋いで録音もしていました。
時代はやがてレコードからCDへという移行期になっていましたが、ギリギリでまだレコードが主流だった時代でした。
3.オーディオコンポとウォークマン時代
やがて大学進学で上京する頃になるとラジオを聴くという習慣はエアチェック目的以外にはほとんどなくなってきます。
まず念願だったオーディオコンポを秋葉原まで出かけて揃えたのもこの頃です。
住んでいたアパートは6畳のごく普通の和室でしたが、その中央に鎮座するコンポ一式が自分の生活の中心でもあった時代です。
ちなみに揃えたコンポは以下のメーカー。
アンプ:TORIO
チューナー:TORIO
プレイヤー:SONY
カセットデッキ:AKAI
Wカセットデッキ:TEAC
スピーカー:DIATONE
カートリッジ:YAMAHA ORTOFON
タイマー:SONY AKAI
アンプ・チューナーはTORIOの既存の低価格コンポシリーズ、AKAIのタイマーはピンを差すアナログ式でした。
そしてこの時代自分の生活パターンをがらりと変えたのがウォークマンの登場でした。
東京時代の後半は電車通学だったこともあって、新譜のレコードをダビングしたカセットテープを常に持ち歩いていましたね。
結果的にオンタイムでのラジオはほとんど聴く機会がなくなりました。
もっとも受信状態を心配することもないわけですから、様々な放送局にダイヤルを合わせてられたのは楽しかった。
それまでなかなか聴く機会のなかったニッポン放送では石野真子がDJをやった「真子と裕のスマッシュ・ルンルン」なんかもこの頃でしょうか。
あとは夜の帯番組「ヤングパラダイス」ですね。
パーソナリティのグレート高原こと高原兄も懐かしかったけれど、当時大好きだった原田知世がレギュラー出演していたので熱心に聴いていましたね。
番組はその後「三宅裕司のヤングパラダイス」に引き継がれますが、ここでSETのことを知り興味を持ったりしました。
後に原田知世も「星空愛ランド」という冠番組をやっていましたが、ニッポン放送を真剣に聴いたのはあの数年だけでした。
そういえば好きなアイドルのラジオ番組を録音したテープをウォークマンで聴くなんてこともやってましたね。
4.カーラジオと文化放送時代
地元に戻って社会人になると今までと全く違うラジオの聴取習慣が始まりました。
最終的に仕事は外回りになったので移動中は完全に自分の自由な時間です。
そんな中で聴くようになったのが文化放送でした。
きっかけは何だったんだろ?
最初にはっきり覚えているのは小倉智明の昼の番組「とことん気になる11時」です。
ちょうど「世界まるごとHOWマッチ」のナレーターとして注目され始めた頃で、ラジオからたまたま聴こえてきた彼の声に耳を止めたのが最初だったんでしょうね。
それ以降もフジテレビの「とくダネ」キャスターになるまでは関連番組はひと通り聴いていたと思います。
「小倉智昭の時計の針はいま何時?」「小倉智昭のニュースアタックル」「小倉智昭の夕焼けアタックル」という変遷だったようです。
そしてその流れであの伝説の昼ワイド「吉田照美のやる気MANMAN!」のリスナーとなるわけですが、その前の時間帯の「梶原しげるの本気でDONDON」なども関連本を買うほど好きでしたね。
あの時代からずっと仕事で移動中は文化放送を聴く習慣が定着して今日に至ります。
しかしながら家の事情もあってフリーになっていた時期もあって、その数年はラジオより音楽メインの時代だったと思います。
ちょうど80年代後半からのCDバブルに向かっていく時代で、レンタルショップでシングルCDを借りまくってカセットテープに落として聴くのが日常になっていました。
その間に聴いていたラジオ番組のいくつかは終了してしまい、あの「やるMAN」もご多分に漏れず気がついたら現在の「大竹まことゴールデンラジオ」になっていましたが、その後また外回りの仕事に就いたため今でも日中は文化放送一択の状況には変わりありません。
最近は深夜枠のラジオも聴かなくなりましたし、今現在家でまともに動くラジオもラジカセもない状況もあって、テレビをつけっぱなしという感じでしょうか。
もちろん好きなアイドルやアーティストが冠番組をやっていたりもしますが、何となく時間に縛られてまで聴こうとは思わないし、そもそも昔のように躍起になって録音して聴くなんて面倒なことを考えることさえなくなりました。
最後に熱心に聴いていたのはFMの「やまだひさしのラジアンリミテッド」かな。
あとは深夜枠に移行した「安倍なつみのスーパーモーニングライダー」通称スパモが最後だと思います。
最近は前述のとおり、車移動の際は文化放送をかけっぱなしですが、PCでradikoで聴けるのは分かっているのですが、もうどの時間帯にどんな番組があるのかさえ調べるのが面倒なので、このままずっとラジオは車で聴くという習慣が続くのでしょう。
そうそう、思い出しました。
ほとんど聴くことがなかったニッポン放送でも「笑福亭鶴光オールナイトニッポン」はある時期嵌ってましたね。
そういえばプロ野球シーズンが始まってこれまで楽しみにしていたNMB48山本彩の冠番組が4月から土曜の27時台へ引っ越してしまいました…わざわざ起きてまで聴かないだろうな。
あ、一応一台だけ生きてるラジオ(電源コード紛失で電池対応のみ)あったっけ?