こんにちは。
桜も満開になってきましたね。(場所によってはまだの所もありますが)
前回ブログからの続きです。
その頃は、ドイツと北イタリアを合わせた地域を、「神聖ローマ帝国」と呼んでいました。。
11世紀から12世紀にかけて、
カトリック教会を意のままに操ろうとした神聖ローマ皇帝 と、
それに反発したローマ教皇庁(イタリア)、
この二者の対立があった。。
これはあまり知りませんでした・・
神聖ローマ皇帝は、
自分のやりたい事(政治意図)を実現するため、しばしば
対立教皇(自分の息がかかった教皇)
を新たに立てることで、ローマ教皇を脅かした。 フリーダムな時代・・
という事は、
自分の息のかかってない教皇のもとだと、
皇帝は、自分のやりたい事を、なかなか実現できないし、
逆に、教皇から、コントロールされてしまう、って事だよね・・
だから、それを避けるために、
わざわざ
自分の息のかかった人物を教皇に選んだ、ってことですね・・。。
だから、
ハインリヒ3世は、自分の息のかかった教皇(クレメンス2世)を、自ら教皇に指名した。。(本当はイタリアには、他にも教皇が3人いたんだけど、ハインリヒ3世が、3人とも退位させちゃった)
そしてハインリヒ3世は、このクレメンス2世から、さっさと神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠を、受ける。。(1046年)
だから、
この退位させられ、追放されたうちの1人、教皇グレゴリウス6世は、
皇帝に、恨みを持ってる・・
そしてその恨みを、
グレゴリウス6世の側近だった
グレゴリウス7世が、引き継ぐ・・
そして、
前回ブログで出てきた、
ハインリヒ4世(ハインリヒ3世の息子)が、この
(教皇)グレゴリウス7世と、また
激しく対立する事になる・・ そして後に、"カノッサの屈辱"が起きる・・
もうこれは、
父の時代からの、
因縁なんですね・・
皇帝と、教皇との、対立、権力闘争・・ せめぎ合い・・
因果は巡る・・
この時代の事を、
全部理解するのは、到底難しいけど、
少し、片鱗が、分かった気がしました・・
日本の歴史とも、似てる所が色々あって・・
ハインリヒ4世は、
源頼家や、
今川家に人質に出された、竹千代(家康)、
または
父を亡くした、豊臣秀頼を思い出させます・・
幼少期に、誘拐され、母親と引き離されて、
辛い思いで育ったのに、
運命に立ち向かっていく姿は、
逞しいなと、思いました。。 (絵に描いたような聖人君主ではなかったかもしれませんが)
今日も読んで下さり有難うございます。