4月の半ば、3月末にやったASSRの結果を聞きに行った。
(ASSR→眠らせて音を聞かせ、脳波の反応で聴力を調べる検査)

結果は、ちょっと・・いや大分?良くなっていた。


新生児の時が両耳100db(デシベル)

1歳半で転院した時が右70db 左100db

そして今回がなんと、右50db 左70db!


↓分かりやすい図をお借りしました
(ピンク○がりょうくんの聴力)






こんなこと、あるんだなぁ。

今までずっと、りょうくんは「高度ギリギリの」中等度難聴だと思っていた。(良い方でも)
普通の音はほとんど聞こえていないんだ、と。

それが急に、ど真ん中の中等度難聴、ということに。しかも右は、周波数によっては40db聞こえているらしい。

それで上の表なんかを見ると、なんだか結構聞こえてるのかも~なんて気になってくる。


ただ、中等度難聴の方が苦労されている話なども耳にするので、全く楽観的になる、ということもなかったけど。

やっぱり補聴器は必須。


それでも病院のSTさんに、補聴器の効果がかなり期待出来るレベルの聴力ですよ、と言われたりすると、色々と欲が出てくる。

言葉が、通じるかもしれない。
それも結構。




ついでに言われたこと。

りょうくんは今、滲出性中耳炎で、耳の奥に水が溜まっている。
それが抜けたら、また少し聴力が良くなるかもしれない・・・!





りょうくん。

赤ちゃんの頃「ほとんど音が聞こえていない」と言われて、お母さんがどれ程絶望したことか。

呼吸がうまくいかなくて、こんなに苦しくて頑張っているのに、お母さんの声まで聞こえていないなんて・・・・・って。

それがいつの間にか、いつからか、
こんなに聞こえるようになっていたなんて。

「りょうくん」て呼ぶ声が、ちゃんと届いていたなんて。

にわかには信じられないけれど。





最近のりょうくん。

補聴器を付ける時間がようやく増えてきた。
自分の耳を触って「補聴器つけて」の合図をすることも多い。

遊びや煩わしさで投げてしまうこともまだまだあって、1日中付けている、という訳にいかないのがもどかしいけど。

そして付けていない時でも、口の動きなのか微かに聞こえるのか、こちらの言うことが分かる時も。



聞こえていても、いなくても、目指すところは「コミュニケーション」だけど。
聴力の改善は、それをかなり、手助けしてくれるはず。

これからは、これまで以上に、「聞こえている」という意識を持って、たくさん言葉を聞かせてあげたい。


いい結果が出て、ほんとに良かった!


気が重いなぁ、と思っていることがある。

杞憂に終わるといいんだけど。


こうくんが小学校に入ると、1年生の内は集団下校で、近所の解散地点までそれぞれの親が毎日迎えに行く。
(学童の子は学校まで親が迎えに行く)

解散地点までは家からほんの数10m先なので、訪看さんなどに留守番を頼むほどでもない。

だから、毎日りょうくんを連れて、近所までこうくんをお迎えに行くことになりそうだ。




毎日りょうくんを連れて。


りょうくんの体調が悪い時はどうしようかな、とか、色々心配事はあるんだけど。

1番気が重いのは、他の子のママに気を使われるんだろうな、ということで。



子供って、遠慮が無い。

こうくんの保育園のお友達などは、りょうくんを連れて保育園に行くと
「のどに付いてるの何?」
「お耳に何つけてるの?」
「どうしてお喋り出来ないの?」
「歩けるの?」
「いつになったら治るの?」
など、グサグサと質問責めにしてくる。

でも、それがかえって助かる。
説明出来るから。
そして、ふーんて納得して去っていく。



大人は、気を使う。
分かるんだけど、ちょっと淋しい。
距離を感じるから。



こうくんが、お休みの日によく遊んでいた保育園のお友達。
3人仲良しで、他のお宅にはよくお邪魔させて貰っていたんだけど。

1人の子が、「次はこうくんちで遊びたい!」と言うので「いいよ」と言ったら、次に会った時に「お母さんが、こうくんちはダメだって。大変だから。」って・・・・・・


一言、聞いてくれたらよかったのにな。

そのママとは会えば親しく話すし、割と気軽にメールもする。

と、私は思っていたんだけど。


もう1人の子のママも、看護師さんだけど
「パニックになったりしない?」(しない)
「子供がバタバタ騒いだら悪い」(むしろ好き)
と、やっぱり家で遊ぶのは賛成出来ないという考えで。(説明もしてるんだけど、それでも。)


気を使ってくれている。
それはよく分かる。
きっとそれが普通。

でも、何だろう。

よく知ろうとする前に、シャットアウトする感じが・・・・・淋しい。
決して感じ悪いママ達ではなく、むしろ付き合いやすい良い人達だから、余計に。

私の被害妄想か?




で、こうくんのお迎え。

ケースは違えど同じようなことが、またあるのかなと思うと気が重い。

慣れて貰えれば平気かな?

ママ達が、子供にも「変なこと聞いちゃダメ」って言って、誰にも何も聞かれず、自分から色々話せる雰囲気でもなく、誰も何もりょうくんのことを知ることもなく、スルーで日々過ぎていく・・とか、悪い想像ばかりしてしまう。

こうくんの為にも、りょうくんの為にも、私がうまくやらなければ、みたいな変な気負いもあったりして。

ほんと、杞憂に終わればいいんだけど。





それとは反対に。

そう思ってるくせに、りょうくんより明らかに重度の子とそのママには、どう接していいか、未だに悩む。

何は聞いて良くて、何を聞いたら失礼なんだろう?とか。


今年度、療育園のクラスに、呼吸器をつけた子がもう1人入って来た。
ただ、りょうくんのように動いたり意思表示をしたりはあまり出来ないよう。

そういう子でも、実は色々感じていて、色んなサインを発している、とは、しばしば耳にする話。

一緒に園で過ごす中で、私もその子のそういうサインを感じられるようになったらいいなぁ。

なんて思っていたんだけど。


その子のママが去年園を見学に来た時に、同じ呼吸器を付けているりょうくんを見て言った言葉。

「いいなぁ、反応があって。」

人づてに聞いて、複雑な気持ちになった。

これからどう接すればいいんだろう・・・・
分かりたいなんて、おこがましかったかな・・



そのママにはもう、入園式で会った。

同じ訪問看護ステーションを使っていることもあり、挨拶して、話もした。

でも、お子さんのことには触れられなかった。

お兄ちゃんを連れてきていて、うちもお兄ちゃん連れだったから、そっちの話を振ったりして。

情けない・・・・・・・

自己嫌悪。





さっきの話とこの話。
どっちも私の話。

気を使われるの嫌だって言ってみたり、気ぃ使うわ~って言ってみたり。

おかしいよね・・・・・・・・


でも、両方の気持ちが分かるからこそ、どちらの場合についても、どうしたらいいのか答えが見つけられる気もしていて。


最近ずっと、そのことを考えている。




単に私のコミュ力の問題なのか?



また先月の話。
こうくんの卒園式があった。

その日だけ冬に戻ったような、どんよりと暗くて寒い土曜日だった。

保育園は3月末まで預かりがあるので、翌週も通う子がほとんど。
「また会う」と思うと別れの淋しさはまだあまり無くて、子供たちはみんな笑顔の卒園式だった。

淋しさに泣いてるのは親ばかり。
卒園の歌って、なんであんなに泣けるんだろうね・・・・




最後の登園が過ぎ、お休みに入ったこうくん。

毎日家に居て、なっくんは保育園。
私も、りょうくんの世話はありつつも、久しぶりにゆっくり相手をしてあげられる。

嬉しそうなこうくんを見ていると、いつも我慢してくれているんだなぁということに気付かされる。

小学校になると帰りが早いから、今までより構ってあげられる時間が増えるかな?


とは言え、お友達と遊べない日が続いていて、そろそろ「限界!」といった感じもあり。
学童に行き始めたお友達の話を聞いて、「学童行きたいな~」なんて言ってみたり。

親と過ごす時間も、お友達と過ごす時間も、子供には同じくらい大事なんだなぁ。
(いつかそれが  親<友達  になるんだな…)





余談だけど、卒園して何が淋しいって、園との連絡ノートが無くなったこと。

1歳の頃から、育児日記も兼ねるつもりで色々書いてきたノート。

「あ、これお便りに書こ!」って思って、あぁもう連絡ノートは無いんだ・・って思うことがほんとに多くて。

ネタに困ることもしょっちゅうだったけど、何て言うか、育児の「拠り所」だったんだなと、今にして思う。

特に初めの頃は、それまで家で1人で見ていた時と違って「誰かが一緒に成長を見ていてくれている」という感じがして、ほっとしたものだった。

これからそのぶつけ所?をどうしようか思案中。。





今日はこうくんの小学校までの通学路を、りょうくんのお散歩も兼ねて歩いてきた。

ちょっと暑いくらいのいいお天気。

途中の公園では桜も咲いていて、ちょっと寄り道したり。

こうくんが毎日家にいるなんて大変!(主に食事の支度)とキリキリしていたけど、3人で過ごすのもいいものだなぁ。

来週から学校が始まったら、怒涛の毎日が始まりそうなので、しばらくはのんびりした日を楽しみたい。















先月の話。
1年通った療育園の、お別れ会があった。

今通っているリハビリセンターの通園期間は、原則2年間。
昨年度が2年目だった子たちは3月で卒園で、そのお別れ会だった。

通い初める歳はバラバラなので、みんなバラバラの歳でもおかしくないんだけど、昨年通っていた子たちは、稜くんと同じ年少さんが多くて、なんだか心強かった。
だけど、ほとんどの子が2年目で、卒園。淋しい・・



初めて登園した時、

「みんな、お座り出来るんだ。」

ささっと見回して、無意識にチェックしてしまった。

りょうくんのクラスは、"歩けない"という括りになっている。
医ケアがある子はりょうくんしかいない、ということは聞いていたけど、みんな、歩けないまでも、首がすわっててお座りも出来るんだ・・

そうやって、勝手にみんなを遠く感じたものだった。

でも、日が経つにつれ。
みんなのことを少しずつ知るにつれ。

みんなそれぞれ、てんかんの発作があったりパニックを起こしやすかったり、りょうくんとは別のものを抱えていて、「誰が1番大変」なんて、1つの物差しでは計れないことを知った。



お別れ会。
それぞれのママがスピーチの中で、みんなの入園当初の様子を話してくれた。

元気に正座で動き回ってる男の子。
足の装具を着けて、歩く練習もしているけど。
入園当初はお座りが出来ず、寝転がったままだったそう。

いつも涼しい顔で微笑んで、「お姉さん」というイメージの女の子。
去年はしょっちゅう泣いていて、その度に隅の方で抱っこでユラユラ。
なかなか療育に参加出来ない焦りで、ママも泣いてばかりだったよう。

りょうくんとは別の児童発達支援でも一緒の女の子。
去年は毎月のように入院していたのに、今年の入院はなんと1回だったそう。


みんな、着実に成長してるんだなぁ・・・・・



りょうくんも今年は2年目。

「先輩になると、途端にしっかりするよ!」
と、みんな口を揃えて言っていた。

「焦らないで、子供のペースでいいんだよ」
とも。

今年は通う日数も時間も増やしていくつもりだし、たくさん刺激を受けて、少しずつでも伸びていくといいなぁ。


*昨年度は週2回、午前中のみの参加だった
今年度はMaxの、週3回午後までが目標!
相談支援員さんが、来年度の計画の為の聞き取りに来た。

「夕方のヘルパーさんは、まだ必要ですか?」

と聞かれ、

「あぁ、、取り敢えず、そのままでお願いします・・・」

と答えた。



なっくんが生まれて、もう1年半が過ぎた。
夕方から夜にかけての魔の時間帯も、だいぶ楽になってきたこの頃。

それでもやっぱり、ヘルパーさんが居てくれる1時間は、貴重な家事&食事タイムだ。
ここで何をどれだけ終わらせるかで、その後が大分違う。
ヘルパーさんに居て貰えるなら、その方が助かる。


とは言え。

普通の共働き家庭で、ワンオペ、小さい子供がいる、となれば、とっても大変なのは当たり前。
私の大変さって、それほどのものだろうか?
りょうくんのことがあったとしても、そんなに制度に頼っていいものなのか・・

改めて、「必要ですか?」と聞かれると、考えてしまう。



こうくんは4月から小学生。
登校班は、子供会が仕切ってやっていると聞き、入会することに。

初めは、登校班だけ入れて貰えないかな、とも思った。
朝夕の旗当番(登下校の見守り)も出来るか分からないし・・・

だけど、あまり近所のお子さんがいるお宅のことをよく知らないし、関われる範囲で関わった方がいいかな、と思い直し、入会を決めた。

一応りょうくんのことを伝え、外出するにもヘルパーさんの見守りが要ることなど、「出来る範囲のお手伝いになります」ということにして貰った。

でもそれも、共働きのお家の方が、うちよりもっと都合をつけるのが大変かもしれない。
夕方の話と矛盾する気もするけど、うちは、ヘルパーさんを頼めば済む話。
りょうくんのことを盾に、「うちは出来ません」て、どれだけ言ってよいものか・・・・・



これから先、こういうことって沢山出てくると思う。
PTAとか、子供会の役員とか、兄弟がスポーツを始めたら色々当番とか付き添いとか。

出来ることは出来るし、出来ないことはごめんなさいってするしかないんだろうけど、「無理すれば出来る」って場合、果たしてどれくらいの無理までを許容すればいいのか・・・
ヘルパーさんに見守りを頼むのはお金も絡んできたりするので、余計に複雑な気持ちになる。
でも、時給でお仕事してる人が休む時もお金って絡むし、うちだけじゃないよね。。とか。


制度の利用も(訪問看護やヘルパーさんなど)、相談員さん的には、今は「赤ちゃんがいる特別期間」で、必要なくなり次第少しずつ減らしたいよう。

取り敢えずは、色々、「なるべく無理はする」方向でやってみようかと思っているけど、さて、どうなるかな・・・・